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ミレイ<オフィーリア>のこと

 またもや、恥ずかしい昔話をしよう。

 まだ中学か高校生の時だった。

 何がきっかけだったかはわからないが、ネットサーフィンの最中に、この絵を見つけた。

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 ラファエル前派の画家、ミレー(ミレイ)の代表作、<オフィーリア>。

 シェイクスピアの『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアの狂死の場面を描いたもので、日本でも人気が高い。

 濃やかに描かれた自然。その中にぷかりと浮んだ女性のうつろな表情。藻のように浮かぶ細い茶色い髪。ドレスの上に散らばった花の赤や青が小さなアクセントを添えている。

 綺麗だ、と思った。

 そして、美術史の入り口に立ったばかりの私は、初心者にありがちな勘違いをした。

「あの農民ばっかり描いてる人が、こんな絵も描くのか」

 おわかりいただけただろうか。

 「ミレー」という作者名を見ただけで、<種をまく人>で有名なフランスの画家と勘違いしたのだ。

 農民画家、フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)はフランス人。

 そして、<オフィーリア>の作者は、ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)。イギリスの画家である。

 日本語では、同じく「ミレー」と発音し表記しても、ご覧の通り、スペルが違う。

 イギリス人の方は、「ミレイ」表記の方が増えているようだが、紛らわしいことこの上ない。(本人たちも不本意だろう)

 

 その後、日本に来たこの<オフィーリア>を見る機会が、2回あった。

 1回目は渋谷。そして、2回目が六本木。

 見る度に、違う場所に目が行った。

 1回目は、やはり主役たる女性。

 そして、2回目は、彼女を取り巻く自然に。

 生い茂る草木や、倒れた木の幹の質感をまじまじと眺め、その細部描写に感嘆の息を漏らした。

 こんな風に描くのか、と。

 原作では、オフィーリアの死は、舞台裏での出来事で、王妃ガートルードの台詞によって、その様が語られる。

 父を殺され、恋人に罵声を浴びせられ、ショックで正気を失ったオフィーリアは、自らが作った花輪を柳の枝にかけようとして、川に転落。

 歌を口ずさみながら流れて行き、やがて、水を吸ったドレスの重みで皆底へと消えていく。

 つまり、この絵に描かれている場面からは、しばらく時間が経過すると彼女が消えるということだ。

 想像の中で、彼女の姿だけを取り除いてみても、それはそれで水辺を描いた風景画として成立してしまう。

 それは、まるで「悲劇」など最初からなかったかのように美しく、あり続ける。

 今から約120年前に、夏目漱石もまた、留学先のロンドンでこの絵を見た。

 故郷を遠く離れての生活は、彼にとってはストレスも溜まったが、それを癒してくれたのが絵を見ることだったと言う。

 絵は、言葉よりも直接的に感覚に訴えてくる。

 何(主題)が描かれているかは重要だが、それがわからなくても、「いいな」「綺麗」と思えるものもある。そうした心に起こるささやかな波―――「感動」は、心にとって栄養になる。

 漱石にとってもそうだっただろう。

 彼は、帰国してから3年後、この絵を下敷きに、洋画家を主人公とする作品『草枕』を書く。

 その後も、ロンドン時代にインプットした美術のイメージは、彼の作品の中にしばしば登場する。

 文豪・夏目漱石の根のひとつは、まさに西洋美術にも伸びている。

 この記事を投稿したら、久しぶりに『草枕』を開く予定である。

 

 

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