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ジェーン・オースティンの肖像

「何だあ、このタイトル」
 それが、図書室で、その本を見かけた時の第一印象だった。
 中学に入ったばかりの頃である。
「性格悪そうな人がうようよ出てきそうな話だな」
 と、言い捨て、私は同じ棚の別の本に目を移した。
 その時の私は、ためしに本を手にとってめくってみよう、などとは考えもしなかった。
 数年後、その本ーーー『高慢と偏見』が愛読書となり、作者のジェーン・オースティンにも強い関心を向けるなど、どうして予想できただろうか。

 高慢と偏見、分別と多感ーーーこの二つは、オースティンの6つの小説の中でも、お堅そうなタイトルである。
 実際に、移動図書館に出かけた際、『分別と多感』を見た彼女の姪は、
「こんなタイトルの本は、しょうもない内容に決まってる!」
と、無邪気に感想を述べ、本をめくることもなかった。
 当時、オースティンは、作品を匿名で発表、出版していた。
 もちろん、姪っ子も、見るからに「しょうもない内容」の本の作者が目の前にいる、なんて思いもよらなかっただろう。
 だが、オースティン本人は、別に怒ることもなく、静かに笑っていたそうな。

 まさか、お堅そうなタイトルの表紙をめくった先に、穏やかなイギリスの田舎を舞台に、若い男女の恋愛模様が明るく軽やかに描き出されている、などとは思わなかっただろう。

 中学生の私と同様に。

 タイトルから受ける第一印象とは裏腹に、文章は読みやすい。時折皮肉のスパイスを感じさせながら、最後は明るいハッピーエンドに落ち着く。
 必ず、主人公カップルがゴールインし、その後の幸せを予感させながら終わるのである。
 そこまでのプロセスが長い。が、面白い。
 というのも、出てくるのが、「いるよね、こういう人」と頷くことしきりなキャラクターばかりだからだ。
 それも、大げさに特徴を誇張することもなく、自然に描き出している。

 そんな彼女は、一体どのような人物、どのような容姿だったのか。

 その答えがこちら。

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 丸顔に、明るい品のある顔立ち。

 特別美人、というわけではないが、穏やかで落ち着いた印象である。

 『ジェイン・オースティン 秘められた恋』で、アン・ハサウェイが演じたオースティンのイメージにも近い。(映画はまだみていないが、アン・ハサウェイの方が、少し顔がほっそりしているような気がする)

 しかし、これは彼女と仲の良かった姉のカサンドラの描いた肖像画を基にした銅版画。

 あくまで「もとにしている」だけ。

 原画を見てみよう。

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 身内故の遠慮のなさもあってのことか。

 への字に結んだ口に、冷静に人を見つめる目。和やかに会話しているように見えても、意外と辛辣な物の見方をしていそうで怖い。

 腕を組んだポーズは、頑固そうだ。

 体格も、意外とがっしりしている。

 牧師一家に、8人兄弟の次女として生まれた彼女は、自身の作品のヒロインたちと違って、生涯独身を通す。

 結婚話がなかったわけではないが、たとえ生活の「安定」を保証されたとしても、「愛のない結婚」は嫌だったらしい。

 その42年間の人生は、冒険したり、何か大きな事件に巻き込まれるといったドラマチックな出来事もなく、穏やかで平凡そのもの。海外旅行もしたことはない。

 だが、彼女の生きた「狭い世界」は、彼女にとっては充分すぎるほど、観察対象に溢れていた。

 その「観察」の積み重ねを基に、彼女は、家族を楽しませるための「習作」を書き、それはやがて本格的な小説となり、『高慢と偏見』などの名作誕生へとつながっていく。

 その作品は、かの夏目漱石にも絶賛された。

 彼女はただ周辺への「観察」を積み重ねて行っただけだ。

 そして、原点にあるのは、名声を求める気持ちやカッコづけなどではない。「家族を楽しませる」ことだ。

「田舎の三つか四つの家族というのが、小説を書く題材」

という、彼女自身の言葉を思い起こすと、「ネタがないから書けない」とふてくされている自分が、少し情けなくなってくる。

 「平凡」なようでいて、いや、「平凡」だからこそ、彼女は「小説」を書くのに必要な、基本的な要素を持ち合わせているのかもしれない。

 

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