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ゴッホ〈刈り入れ〉(メモ)

西美の『自然と人のダイアローグ』展について。
記事を書くなら、やはりゴッホだろうか・・・と思っている。
実物を見た時の最初の印象は、
「小さいな・・・」
たが、麦畑や緑色がかった空のうねるようなタッチや、そこから感じるエネルギーは、やはりゴッホらしい要素だった。
この〈刈り入れ〉を、彼は3バージョン制作しており、色合いや大きさが違うらしい。

作品で印象的なのは、やはり太陽の存在感と言おうか。
アルル時代の〈種まく人〉でも、画面の奥、麦畑の向こうから強いエネルギーを振り撒いていた太陽。
しかし、〈種まく人〉に比べると、こちらの〈刈り入れ〉の太陽はやや大人しく、距離があるように思える。

農民や畑は、画家を目指しはじめ、修行していた頃、オランダ時代から、ゴッホにとっては主要モチーフの一つだった。
ミレーへの憧れがきっかけの一つだったが、次第にゴッホは、モチーフを目の前にしながらも、忠実に画面の上に再現する、というよりも、自分の感情や内面を託す媒体としていく手法を編み出していく。

アルル時代の〈種まく人〉は、アルルでの芸術家共同体作りの夢に燃えていた頃。前向きなエネルギーであふれていた。
対して、〈刈り入れ〉は、その夢が破れ、自らの耳を切り落とす事件を起こした後のサン=レミ時代の作。
情熱を傾けてきた「夢」を失ったゴッホは、もう以前のように新たに目標を見つけ、前を向くことが難しかったのではないか。
手紙にも「死」に関する言及が増え、モチーフも、ヨーロッパの墓場に生える糸杉や、キリストが逮捕される前に祈りを捧げていたオリーヴ園など、「死」に関わりのあるものが増えている。
「刈り入れ」も、その一つと言えよう。

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