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名画誕生~フェルメール、ありふれた場面にこめられた警告(メッセージ)


フェルメール〈真珠の首飾りの女〉


毛皮の縁取りのついた上着をまとい、鏡の前でおしゃれを楽しむ。お気に入りの真珠の首飾りをつけた自分の姿が鏡に映るのを見て、自然と笑みがこぼれる。

このように日常の中のささやかな楽しみを、柔らかな光の中に描いた〈真珠の首飾りの女〉は、フェルメールの作品の中でもよく知られている一枚である。
女性の姿は、絵が描かれてから300年以上が経過した現在でも、見る者に親近感を感じさせる。
が、実はこの絵は、単に生活の一場面を描いたものではなく、見る者に向けた、ある警告(メッセージ)が込められている
それは、フェルメールに限らず、17世紀オランダで描かれた風俗画の大部分に当てはまることでもある。
そもそも、同時代に生きる人々の生活風俗を描く風俗画というジャンルは、17世紀のオランダで成立した。その背景にあったのは、プロテスタントの思想であり、描かれる内容もそれに根差している。
この『真珠の首飾りの女』のように、鏡の前で着飾る女性は、17世紀オランダで多く描かれたテーマの一つである。
なぜ、ここまで好まれたのか。ここにメッセージが隠されているのならば、それは一体どのような内容なのだろうか?

①オランダの絵画事情


1568年、スペイン王フェリペ2世のプロテスタント弾圧に対し、ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー)は、独立を目指し、反乱(八十年戦争)を起こした。
カトリックが多かった南部はスペイン側に残ることを選んだが、北部7州はユトレヒト同盟を結んで戦い続け、1609年には事実上の独立を達成する。
ここに、ヨーロッパ初のプロテスタントの共和国が誕生した。
王侯貴族が存在しない共和国で、絵画のパトロンとなったのは、裕福な市民たちだった。
また、プロテスタントでは偶像崇拝を禁じているため、教会からの祭壇画の注文もなかった。
そのため、オランダでは、市民たちの邸宅を飾るため、身近な生活や自国の風景、静物など、親しみやすい主題を、小ぶりな画面に描いた作品が多く生み出されていく。

②プロテスタントの倫理観

プロテスタントとは、カトリックから分離した諸宗派の総称であり、単一の組織ではない。が、カトリック教会がローマ教皇を頂点とするのに対し、それを認めていない、という点では共通している。
その一つで、オランダの国教となったカルヴァン派は、神によって救われる者と、地獄に落ちる者とがあらかじめ決められている、と考える「予定説」を提唱していた。
救われるか否かの判断は、現世での仕事を神に与えられた「天職」として従事し、成功できるかにかかっていた。
そのため、「勤勉」が美徳の一つとして賞揚されていたのである。

そのことを念頭に、この〈牛乳を注ぐ女〉を見てみよう。

フェルメール〈牛乳を注ぐ女〉


化粧気のない、たくましい体つきの女中が鍋に牛乳を注いでいる。テーブルにパンが置かれていることから、彼女がパンプディングを作る準備中とする説もある。
何にしろ、彼女は自分を見つめる視線には頓着せず、黙々と作業に従事している。その姿は、まさに「勤勉」を体現していると言って良い。
が、実はこの作品が真に称賛しているのは、女中ではない。

フェルメールの作品は、市場で買い手を探すというよりも、確実に買ってくれる裕福なパトロンのために描かれたと考えられている。中でも、裕福な醸造業者ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンは、20点以上もの作品を彼から買っており、『牛乳を注ぐ女』も、その一つと考えられている。
つまり、絵にこめられたメッセージのターゲットも、彼と同じ階層、つまり裕福な市民階層と見た方が良い。
そして、この階層の女性たちにとって、天職とは、良き主婦であることだった。母として子どもを生み育て、家の女主人として女中たちを監督し、仕事に従事させることが、彼女たちの「天から与えられた使命」だった。

彼女が家の女主人としての仕事を全うしているからこそ、家の中は整えられ、この〈牛乳を注ぐ女〉に描かれているような光景が実現するのである。

③虚飾への戒め

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