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徒然日記~原稿の事、映画の食事シーンのこと

「駄目だ~」

 消しては書き、消しては書きを何度繰り返しただろう。

 良いネタ、表現だ、と思っても、ここで言っておきたい、と思っていた事でも、いざ入れて見ると、どうもおさまりがわるい。

 唸った挙句、とりあえずそこにいつまでも留まっていても、記事は完成しない、と思い直し、別の個所を書き進める。

 そんな感じで過ごした今日一日。(途中に散歩も挟んだのは、一度机から離れて、身体を動かしたりした後の方が、意外とうまく書けるようになったりするから)

 

 原稿から離れてふと思い返したのは、昨日見た映画『ミッドナイト・イン・パリ』のことだった。

 具体的に言うと、あの映画の、食事のシーンについて。

 主人公が、婚約者やその両親と食事をするシーンが映画中に何回か出てくるのだ。

 食事シーンからは、見ようと思えば色々な物が見える。

 誰と食べるか、一人で食べているか。

 何を食べているか。

 食卓で話されている内容。会話の雰囲気や、話の流れからは、同じ食卓を囲んでいる人たちの間柄も見えてくる。

 主人公ジルと、婚約者たちとの間には明らかな温度差がある。

 話がかみ合っていない。(婚約者のお父さんは、フランスワインの試飲会でも、平気で「ワインはカリフォルニアに限る」とか口にしている…)

 そして、3vs1で、主人公は居心地の悪さを感じている。

 真夜中に1920年代のパリで、憧れの人たちと過ごすようになって、主人公は次第に、婚約者やその家族、友人たちとの行動を避けるようになる。

 最初は婚約者も「一緒に行きましょうよ」「約束だし、行かなきゃ困る」とも主張するが、そのうち、それが「気が進まないんだったら別に良いわよ」に変わる。

 それと前後して、家族のディナーの場面に主人公は姿を見せなくなる。(婚約者も別に気に留めず、食後はインテリ気取りの男友達と踊りにいく)

 「家族の食卓」のシーンは、彼が欠席した夜で最後になる。

 そして、ラストで、主人公は婚約者のもとから去っていく。

 もしも無理して、結婚していれば、あのような居心地悪い食事シーンがこれからも続いていっただろう。

 そう考えると、物語の中で「食事」シーンは、興味深いパーツである。

 今度からは、もっと注意して見るようにしてみたい。

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