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美術私感~カミーユ・コローの教え

19世紀、フランスの画家たちの間では、神話や歴史画の背景となる理想的な風景よりも、自国の身近な風景に目を向けよう、それらをモチーフとして描こう、という動きが高まって行った。
彼らが着目した場所の一つが、パリ近郊のフォンテーヌブローの森、そして森に隣接する小さな村、バルビゾンだった。

このフォンテーヌブローの森に最初に目を向けた一人が、カミーユ・コロー(1796~1875年)だった。

カミーユ・コロー、<フォンテーヌブローの森の眺め>、1830年

彼は、フランス各地やイタリアの、何でもない風景を選んでは、それらを詩情豊かに描き出していった。
しかし、彼の作品は現実の風景を確かにベースにしていながらも、「見たもの」をそのままというわけではなく、空想上の人物を画面の中に配することに特徴がある。
こうした「空想風景画」は、しばしば<〇〇の思い出>とタイトルが冠せられている。
このコローの代表作である<モルトフォンテーヌの思い出>もその例だ。

コロー、<モルト・フォンテーヌの思い出>、1864年

画面の右半分を占める大きな樹。枝葉を広げ、空を半分遮っている。コロー得意の銀灰色の靄がかかった様が神秘的だ。
そして、その反対側ではヤドリギの実や花を取ろうとしている3人の人物がいる。
上記のコローの手法を考えれば、右の樹と後景に広がる大きな湖は、彼が実際に見た風景であり、3人の人物は、後から付け加えたもの、となろう。
この3人の衣服の赤や青、黄色が、画面にちょっとしたアクセントを添えている。
かりにこの3人がいなかったら、右の大樹の存在感も薄れてしまうだろう。

この絵を見ていて、思い出したことが一つある。
この<モルト・フォンテーヌの思い出>が描かれた1864年、コローは、一人の若い画家オディロン・ルドン(24歳)と出会い、こんなアドバイスを送っている。

「不確実なもののかたわらに、確実な物を置きたまえ」
「毎年同じ場所に行って描くといい。同じ樹を写すんだ」

<モルト・フォンテーヌ~>は、「不確実なもの(空想上の人物)のかたわらに、確実なもの(現実の樹)を置く」、の実践例とも言えるだろうか。

ルドンは、この偉大なる先輩画家のアドバイスを生涯心にとめた。
幻想的な画風で知られる彼は、しばしば神話や文学作品に登場する怪物や生き物をモチーフに描いているが、樹や植物と組み合わせて描かれるパターンが少なくない。

オディロン・ルドン<キャリヴァンの眠り>
オディロン・ルドン、<仏陀>

コローだけではなく、ルドンについても、また書く機会が得られることを。

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