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記憶喪失

20050427

私の勝手な思いを綴ってありますので、批判などもあるかもしれません。
私のつたない言葉や、未成熟な思いで、傷つく方がいらっしゃいましたら、
申し訳ございません。


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悲惨な事故がありました
たくさんの方が亡くなり
たくさんの方が悲しまれています
やりきれない気持ちでいっぱいでしょう
無力な私には、祈ることしかできません
何もできない私を許してください

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事故といえば、どうしても頭をよぎるのは、幼少時代の私の親友だったという女の子の死です。彼女はトラックにはねられて、即死だったそうです。

私は記憶喪失になりました。正確には、いまだに思い出せません。彼女の記憶が、記憶の引き出しのどこかに全部しまわれてしまったのです。小学校に上がる直前の幼い私の、必死の自己防衛だったのだと思います。催眠療法で記憶を後退していかない限り、思い出せないのではないかと、今では思っています。

彼女の死後、数年して、私は毎晩のように同じ夢にうなされるようになりました。髪の長い女の子と手をつないでいる私。いつも私が遊んでいた公園から、走り出す私たち。途中でつないでいた手を放し、その女の子のうしろ姿をみている私。
突然、その女の子の頭から血が噴出し、目が覚める。毎晩、その夢の繰り返しでした。
同じ夢が何日も続くので、少し怖くなり、母に言いました。すると母は、
「あんた、覚えてないの?」と驚いた様子。
お葬式の日も、その後も、泣かないし、寂しがらないし、変だなとは思っていたそうです。私が彼女の名前を口にしないので、あえて、母も何も言うことはしないまま、だったそうです。でも、彼女の名前を聞いても、写真を見ても、思い出すことはありませんでした。幼すぎたのかも知れません。その後、その夢はもう見ることはなくなりました。
母は否定しましたが、もしかしたら、彼女は私の目の前で亡くなっているのかもしれないと、おさな心に思いました。その後、私は中学に上がり、彼女の小さなお墓は通学路の途中にあったので、毎日のように手を合わせにいくようになりました。

記憶喪失の私には、残酷なことに悲しみやさみしさはありませんでした。他人事でした。ただ、命は、あっさりと突然消えることもあるんだ、そう思いました。彼女が亡くなって、彼女の家にも遊びに行かなくなった私。彼女のお母さんは私をかわいがってくれましたが、引っ越していきました。私が大きくなるのを見るたび、つらかったのかもしれません。

それから今までの間に、何度か大切な友人や、大切な人の死を経験しました。
事故も、自殺も、前もってわかっている死もありました。
そのたびに嘆き、苦しみ、考えました。

何のために生まれ、何のために生き、なぜ死ぬのか。たぶん、思春期くらいから考えはじめる疑問。そして、考えるのをやめてしまう人もいるのではないかと思います。考えても見つからない答えだから、と。考えを言い合える友人がいる場合もあります。でもそれは議論してみつかるものではなく、いつか、それぞれが答えをみつけるものなのではないでしょうか。それぞれ、違う答えかもしれません。もしかしたら、みんな同じ答えにたどり着くのかもしれません。
私はある人と出会ってから、数年して、やっと私なりの答えがみつかりました。喧嘩別れしたまま、恋人を事故で失ってしまった私の大切な友達は、突然の彼の死から数年して、私と同じ答えにたどり着きました。正解かどうかなんて、知る必要もありません。それがどんな答えかは聞かないで下さい。
自分の中にあればいいこと、議論するつもりもありません。

ただひとつ言えるのは、いつも、できるだけ後悔しないように、生きたいということです。愛している人には、愛していると伝えないと、後悔します。
喧嘩別れしたまま、彼が死んでしまったら、言葉では言えないほど長い間苦しみます。
毎日の喧騒の中で、平凡な毎日の流れの中で、私は忘れてしまいがちです。
でも、命を軽視しているとかそういうのではなく、私は、いつ死んでもいいように、今を生きたいと思っています。

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