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【お寺の話】読書記録

最近お経に関する本をいくつか読みました。

1つは、阿弥陀経(浄土真宗で最も大事とされるお経のひとつ)についての本。阿弥陀経に書かれていることはどういうことなのかがわかりやすくまとめられていて、お経を唱えている間に頭に浮かぶ「これってどういう意味なんだろう」という疑問がすっと晴れるような内容。

例えば、繰り返し出てくる舎利弗という言葉はお釈迦様の弟子の名前でお釈迦様が何回も語りかけていること。極楽浄土がどのように素晴らしいところか教えてくれていたり、念仏を繰り返し唱えることで亡くなった後極楽浄土に生まれることができるという教えが説かれていること。

この本を読んでから阿弥陀経を唱えるともっとお経を味わえる、そんな気持ちになりました。

別の日に読んだ本の一節でその気持ちが揺らぐことになるのですが…

その本の中では、ある僧侶の方が「お経は別に意味がわからなくてもいい。むしろ、わからない位の方が唱えていて無心になることができる。」と言うのです。

お経の意味がわかって喜んでいた私にとってはプチ衝撃でしたが、よくよく考えるとこれも一理あるな、なんて。

お経をあげるようになって、全然意味もわからぬまま唱えていると集中していくうちになんともいえない気持ちになることがあります。ヨガでも一般的にイメージするヨガ(アーサナ)は実は瞑想の準備段階で、瞑想に向けて行うものとされていて、なんとなく近いものを感じます。

ちょっとまとまりのない文になってしまいましたが、本を読んだ気持ちが薄れていく前の記録に。

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