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ヨガ哲学アウトプット

気がつけばnoteを始めて一年が過ぎ、下書きのまま公開してない記事も増えました。

おはようございます。最近早起きです。4時に目が覚め5時には起きています。その分夜は本当に早く寝ます。昨日は少し寝付くのに時間がかかりましたが普段は10時には寝てしまいます。ちょっと近頃アウトプットの機会がめっきりと減ってしまって、まぁ今そういう人、割と多いのかなと思いますが、なんかだらけています。

昨日はヨーガ・スートラの講座に出席。哲学を学ぶと自分の生活にどう落とし込もうかと、そこが肝心よね、なんて思うのですが、昨日はとても疲れたらしくそして神経も昂ってしまってその後の夕食作りや就寝にまで影響が出た感じでした。思うよりもずっと、この人(自分)頑張っているようです。

本質にたどり着こう(また、あそこに帰りたいのです)としたいのですが、なかなか自分のエゴなどが邪魔をする感じが手にとるようにわかります。さてさて、どう進もうかな、と思うのですが、焦っている自分を見つけたところなのでまずは焦りを手放し。

焦りは何から生まれるかといえば、自分の中に不安があるから。

なぜ不安が生まれるのかといえば、本質を忘れてしまっているから。

なぜ本質を忘れてしまっているのかといえば・・・?

この世界にいるからと言う答えになるのでしょうか。

なぜこの世界にいるのかと言えば、生まれたから、なのですが、

なぜこの世界に生まれたのか?

ここは自分の中で腑に落ちている感覚があって「体験したいから」「感情を味わいたいから」という本質の好奇心からこの世界にやってきたのだと理解しているのですが、昨日の講座のお話でここがそのまま繋がりました。

ではなぜ「体験」したいのか?

私はここは世界のあらゆるものを「ありのまま」観る為、と思っていたのですが、

答え:カルマを解消する為。だそう。

ここは腹落ちしていませんが、まぁそうなのだろうなぁ、ですよね〜と頭で理解。ここは知識としてそれを以前から知っていたことですが、日常生活の中で「カルマの解消」はあまり考えたことがなかった…いや考えたことは沢山あるのですがまだ全然腑に落ちない。その解消をすることの「本当の意味」がまだ全然よくわからないです。えへへ。このカルマの概念そのもので自分の中でまだ未消化な部分があるので、そのためかもしれません。

あらゆるものを「ありのまま」観る、は人間として生まれ、この世界でこれまでの経験を積んできたこの「私」がやりたいこと。なのですね。気がついた。

カルマヨーガ、以前はガツガツと意識して行なっていましたが、それは「良い・悪い」を超えた場所から「行動・行為」をする。それによって得た「結果」を観る。その「結果」に囚われず、純粋に「行為」する。その行為の「結果」は捧げる。というやり方、方法で、自分を見つめる、というものでした。今もそのベースは自分の中にありますが、できていたりできていなかったり。(ハタヨガもこの見地から。)

今は、「行為の結果は全て自分に全部返ってくる」という部分をヨガではない手法でまた別にがっつり観ています。その中で気がつくこととして、自分の中で必要な「手放し」がまだまだあるなということです。

画像はクリシュナ神。




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