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私の人生が動き出したきっかけ

私の毎日はとっても忙しい。
以前は、なんで1日は24時間もあるんだろうなんて思っていたけれど、今はとてもじゃないが24時間じゃ足りない。身体のパーツ全てが2倍になってくれないと、死ぬまでにやりたいことを全てやり切ることはできない気がする。

以前、人気YouTuberの女優さんが「忙しい、本当に毎日ハードスケジュール過ぎて大変」と言っているのを耳にした。そのスケジュール内容は、早朝にジムに行き、歯医者、皮膚科をハシゴした後、夫へのプレゼントを買うためにショッピングをして、子供を迎えに行き、一度家に帰った後、再びジムに行くというものだった。

これを聞いて、私は次のような感想を抱いた。


「えぇ、これって忙しいって言えるの?」
「ほとんど自分の都合じゃん。」


この頃の私が思う“忙しい”とは、自分のこと以外に費やす時間が多いという意味だった。そして、その時間のほとんどは仕事だ。仕事だからしょうがない。仕事だから優先的に時間を割かなくては。

そう思っているうちに、いつの間にか“仕事”は私の心の真ん中にどっかりと座りこみ、我が物顔で偉そうにしているようになった。まるで、横柄な王様だ。
自分の都合と仕事を天秤にかけるなんてとんでもない。自分の時間は後回しにされて当然で、それが普通だと思っていた。だから、自分の都合で“忙しい”なんて贅沢。優先順位が圧倒的に低いから、自分の時間は“忙しい”に含めるまでもなく、私の生活からどんどん消えていった。けれど、その時間をうまく捻出できない自分が悪いから、しょうがないと思っていた。


けれど、本当にそうだろうか?


私が出来損ないだから?
じゃあ、自分の時間って有能な人にしか得られない特別なものなの?
その人たちと私の違いって何なの?

そこまで考えて気付いた。

私が自分の時間を持てないのは、私がその時間を蔑ろにしていたからだ。


人生は有限で、1日は24時間で、人それぞれこなせる量に多少の違いはあれど、与えられている時間は変わらない。その時間の中で、やれることって限られてくるから、その人が何を優先するかで人生は大きく変わるのだと思う。

自分の時間を持っている人は、もれなくその優先順位の付け方が上手だ。
そして、その自分の感覚をとても大切にしている。誰かに遠慮したり、周りの目を気にして、その考えを変える必要はないと知っている。だから、どんなに自分の都合だらけのスケジュールでも臆せずに“忙しい”と言い切れるのだと思う。誰が何と言おうと、彼らにとってはそれが、その日最も優先すべきやりたいことなのだ。


私はずっと勘違いをしていた。
私は仕事のために生きているのではなく、豊かに生きるために仕事をしているのだ。社会人になって、周りについていくのに必死で、いつの間にか目的と手段がすり替わってしまっていた。私の本業は、私らしく生きることであって、仕事をすることではない。世の中には、仕事が生きがいという人もいて、それも素敵なことだなぁと憧れたりするけれど、私の場合はそうじゃない。


自分を蔑ろにして生きるのはもうやめた。


そんなふうに考え方を変えてからは、毎日が驚くほど色鮮やかだ。何より、自分がどう生きたいのかが明確になり、毎日、「明日はこれをやりたい!」と思うことがあるのが嬉しい。それをするために1日のスケジュールを考えるから、仕事にもメリハリが出る。やっと私の人生が動き出した。この充実した感覚こそが「生きている実感」なのかもしれない。


今の私ならば、人気YouTuberの彼女に
「それは忙しいね!大変だろうけど、楽しんで!」
と心から声をかけられるだろう。


ここまで読んでくれて、ありがとう。

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