どうやってだれかに自分を愛させるようにするの?

『青い目が欲しい』著作者トニ・モスリンの本を読んだ。
上記のタイトルは、黒人の少女ピコーラの言葉である。

この本は黒人と白人の人種差別を背景に悩み、苦しみ、青い眼を持ちたいと切実に願う黒人の少女の話である。しかし、私はここで人種差別的な問題を大きく取り上げる気はない。私はただその少女ピコーラの姿、言葉、行動が、今を平凡に生きる私に強く心に刻まれたことを話したい。

ピコーラは親からの折檻やクラスメイトのいじめなどひどい境遇を受け、もし自分が青い眼であれば彼女自身違っていたし、人生は別物だと信じていた。ピコーラは毎日青い眼が欲しいと願い、ソープヘッドという霊媒師のもとへも懇願したが騙されてしまう。

作中に同じ黒人女性であるクローディアは、裕福な家庭で育つモーリンに対し、「恐れなければならないのは彼女を美しくしているものだった」と語る文章がある。
わたしはこの言葉が、今の世俗的な価値観を表しているように思えた。

私自身、自分の顔のせいでいじめられたことがある。クラスで人気があるのは眼が大きくて、多くの割合で二重で鼻が高くスラッとしていた女の子だった。今雑誌やテレビで活躍している人、街中に歩く女性は、皆肌が白くて、目が大きくて、そんな女性たちが人前に立って輝いているように見える。

わたしは周囲にいじめられるまで自分の顔が醜いとは思っていなかった。雑誌に載る人の顔は自分の顔とは正反対だったけど、いつか大人になればこういう顔になるのだと信じていた。

わたしの顔が世間に好かれる模範的な顔であれば皆にいじめられることはなかったし、私自身も彼らを好きになることはできたのだろうと10年経った今でも思う。変えられない問題にひどく悩み、今も私はその問題の答えを見いだせていない。

ピコーラとクローディアは同じ黒人でありながら、ピコーラは切実に青い眼の少女の憧れ、クローディアは青い眼が美しいと思う世の中に対して反発している。

同じ境遇の中でも、2人の生き方や考え方は違っている。最後ピコーラは父であるチョリーに強姦され、霊媒師に騙され、青い眼を手に入れたと思い込み、空想の友達と話す場面でも語りは終わる。

わたしはいまだに自分の過去と今も苦しむ醜さに対しての答えを見つけてないけれど、私は愛を少しだけ知っている。クローディアが妊娠したピコーラを心配して何かしたいと思って行動し、ピコーラの母は決して良い母親ではないかもしれないが、彼女を愛していた。彼女の父も間違った行動ではあるが彼女を愛していた。ピコーラの周りにも彼女のことを思う人が周りにいるように、私も一人の誰かを思い、思われだからこそ今を生きているのだと思う。

わたしは自分の醜さに対してきっとこれからも悩み続ける。ピコーラのように憧れを空想し生きるか、クローディアのように反発精神を抱きながら生きるのか、それとも2人とは全く違う価値観で人生を終えるかは分からないが、自己嫌悪で生きるのではなく、人を好きになることを諦めないよう生きたい。


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