おうち英語に関しての私の考え
白川寧々さんのYouTubeに出させていただいてから、たくさんの新しいお問い合わせをいただいています。これまでは身近な方々にしかレッスンを提供していなかったのですが、今回のYouTube以降、はじめて自分と離れたいろいろな方からのお問い合わせを受けて、「英語を習得するためのメソッドの需要が増えていること」、「いろいろな環境で英語学習に悩んでいる人がいること」を知りました。(お問い合わせは日本全国、そして海外からもたくさんいただきますし、お悩みのポイントは千差万別です)
そして、いわゆる「おうち英語」をされている方とも、いままではほぼ関わりがなかったのですが、この3ヶ月ほどで、たくさんのご家庭と出会いました。
そんな中、ここ数週間、X(Twitter)で、「おうち英語」や「早期英語教育」に関していろいろと盛り上がっているのを見かけて、私なりに思うところを書いてみたいなと思いました(乗り遅れていますが・・)。
いろいろな方達の議論を見ていると、以下の二つの対立の構図があるように見ています。
「おうち英語組 vs 中受組」
そして、
「早期英語教育主張組 vs 英語教育は中学から主張組」
対立の軸は、
1️⃣「英語は中学から始めても、幼少期から始める場合に追いつくのか」
そして
2️⃣「早期英語は発達に悪く、セミリンガルを生み出すのか」
ということだと受け止めています。
結局のところ、争点はひとつ。
「おうち英語(早期英語教育)」・・・是か否か。
「おうち英語」には定義がなく、人によってもやり方や信念がそれぞれ違っていて、捉えどころがないという事実があります。それをもとに是か否かを議論することはできない、と正直思うのですが、、みなさまがいろいろな意見を展開されているので、私も、あいまいにしてきたおうち英語に対する考えを整理してみることにしました。
私の個人的な考えはこうです。
問い1️⃣「英語は中学から始めても、幼少期から始める場合に追いつくのか」
問い2️⃣「早期英語は発達に悪く、セミリンガルを生み出すのか」
以上が争点に対する考えです。
つまり、
⚫️中学からでも英語はできるようになるが
⚫️幼少期から英語を始めた方がよい(けれどやり方は大事!)
⚫️個別事情によっては見直した方がいい場合もある
という意見です。
(本題からは外れますが、正確に言うと、「おうち英語」はあまり好きなコンセプトではありません。「おうち英語」などやらなくて済むように、社会で幼児期からすべての子どもが英語を習得していける仕組みを作るべきだと思っています)
おうち英語に対しての私の考え、もう少し説明させてください。
おうち英語是か否か・・・問い1️⃣ 「英語は中学から始めても、幼少期から始める場合に追いつくか」
「英語は小さな頃から音を入れておく方がいい」にまず一票です。
英語の歌って普通にリズムがよくて楽しいですし、Super Simple SongsやSinging Walrusなどを、赤ちゃんの頃からエンターテイメントの音楽としてかけることは、英語の音を聴けるようになるためにとても良いと思います。多くの幼児は意味がわからなくても綺麗な発音(丸覚え)で口ずさむようになるでしょう。画像も見ていれば、単語や表現も覚えて、別の言語として少しずつ自分の中に取り込んでいく場合もあるでしょう。Peppa PigやLittle Foxでも見せてあげれば、きっとストーリー展開から、簡単なコミュニケーションも理解するようになります。
ですから、誰もが、幼少期から英語のインプットをスタートをしておくといいと思っています。母語以外の言語があることを知り、その音声に親しんでいる方が、後から外国語を入れる時より混乱しないし、聴き取りや発音という後からだとなかなか困難な部分をスッと超えられる可能性が大きいです。
今後も英語が世界の共通語であることはおそらくしばらくは変わりません。「英語ができる」アドバンテージは以前よりもさらに大きくなっています。いえ、「英語ができない」不利益が大きくなると言っても過言ではありません。
すべての子どもたちに同じチャンスを与えてあげるためにも、スタートは皆同じく、幼児からであるといいなと思います。
英語の音をきちんと聴くのが中学以降の場合は、私や夫もそうなのですが、やはり、ネイティブのように聴いたり話したり、「スッと感覚で入れて」やりとりすることに難があります。それでも、とりあえず日本の中での英語学習の最終ゴール?には辿り着けます。「英語はできるようになる」ですね。
ただ、日本の中で英語が上手い方、なんて、世界で見ると英語がたいして使えない部類になるのですよね😅 そこがわかっているかどうかが、おうち英語推奨派(わかっている)と、おうち英語反対派(わかっていないかも)の間にある一つの認識の違いだと思います。この、日本でいう英語学習のゴールレベルを「英語ができるようになった」と取るのか、あるいはそうではない、と思うのか。。。(「日本の英語のゴール」=最難関大学に合格するとか、英検1級を取るとか)
英語ができるようになったかどうかのラインを「4技能のすべてがCEFR B2後半からC1のレベルである」などわかりやすい指標にしたら、揉めることも減ると思います(でも、英検で出るB2やC1にはかなり疑いの余地ありますから・・やはりドメスティックな英語試験ではなく、グローバルな試験でしか測ることはできないと思います(IELTSやTOEFLなど) )。
上記の「日本の英語のゴール」に辿り着いた人で、4技能すべてがCEFR C1の人は多くないと思われます。ここからまた、「本当にできる(実際に社会で運用できるB2後半〜C1程度)」レベルに到達するための自力の努力が必要になるわけです。
ここで、そこまで引き上げるプラスαの努力をした場合、海外や英語の職場でやっていく英語力にすることは十分にできると言えます。周りにたくさんの実例(大学まで日本だけれど、英語で仕事ができている)があります。
また、中学から英語を始めて海外大学や大学院に進学した人もたくさん知っています。
ただ、中学からスタート組で、グローバルに使える英語力まで達成した方は、英語で仕事もできるけれども、そこで、小さな頃から英語を使っていた人との英語の「解像度」(Xで使われている表現を借りてみた😆)の差は感じるわけです。日々努力をしても、「英語をネイティブ言語のように扱える」かどうかの壁は、やはり残ることの方が多いと思われます(まれに超える方もいるようですが)。
ここでまた別の認識のズレがあるように思います。
「英語をネイティブのように完全に使いこなせないと、英語ができるようになったと言えないのか」
おうち英語推奨派の方は、おそらく、ここが「YES」なのかな、と思います。そして、おうち英語反対派の方は、ここが「NO」のことが多いのかなと想像します。
私はここでは、NOの考えの側です。ネイティブ言語としてではなくても、アカデミックでも仕事でも、どうにかやっていけるのであれば、それを及第点と取らない理由はないと思うのですよね。つまり、「十分にできている」ということです。
本人としては、いつまでもネイティブ言語のように使えないフラストレーションがあるわけですが、、周りのネイティブから見ると、「え、十分に英語使えているよ?」と言われるわけです。これでOKとしてもよいのではないでしょうか?
ですから、中学から英語を始めても海外のスタンダードで「英語ができる」に追いつくことは可能、だと個人的には結論づけたいと思います。
逆に、おうち英語からスタートした人がすべて、グローバルに本当に使える英語力に達することができるわけではないと思います。。。後に詳しく説明します。
まとめると、、
おうち英語是か否か・・・問い2️⃣「早期英語は発達に悪く、セミリンガルを生み出すのか」
では、中学から英語スタートでも英語を習得することは可能と言いつつ、幼児期から英語を入れた方がいいと思う理由はなにか。
私が幼児期から英語を入れた方がいいと思う理由は二つあるのですが、まず一つは、先に触れた通り、幼児期から英語に触れていく場合は、後からなかなか埋めにくい英語の「解像度」の部分、つまり「母語として運用できる、わかる能力」を手に入れやすいからです。
「母語的にわかる」を、外国語として10歳以降に学び始めた言語で得るには、長い年月がかかります。C1以上の上級になって初めて追求できることだと思うのです。
一方で、英語を幼いうちから聴いて少しでも話していた場合、この「母語的にわかる」をわりと簡単に手に入れることができます。
おうち英語推奨派の方も、母語のように英語がわかるようになってほしい、そして、ネイティブのように発音したり聴き取れる耳を養ってほしい、と考え、乳幼児から英語を入れようとしているのだと思います。
さらに、おうち英語をされている方の中には、こんな考えを持っている方もいるようです。
・・・「元々特別能力が高い人は中学から英語を始めてもできるかもしれないが、うちの子は普通の能力なので、早いスタートにした方が、英語を習得できる可能性が高まる」
さらに、
・・・「もし我が子がお勉強が苦手なタイプの場合、手に職をつけて(寿司職人とか)将来生きていくことを選ぶかもしれない。その場合、英語というスキルを持っていると、海外でも活躍できる可能性が広がる」
という考えもあると聞くこともあります。
不確実な時代にお子さんのことをいろいろと考えて動かれているのだなあ、と、じーんとします🥹
ただ、、「英語を母語的に理解できる」能力を身につけるには、低年齢の方が確実ではありますが、ここには注意が必要だと思います。
「母語的に英語を理解できる」を低年齢のうちに身につけられたらそれはとても大きいアドバンテージなのですが、「母語的にわかると言っても、それが「3歳レベル」なのか、「5歳レベル」なのか、「小3レベルなのか」。。
それを常に年齢相応に上げていかなくては、結局アドバンテージにはならない可能性があることには、気づいておいた方がいいと思います。
そしてさらに、いくら英語が「母語的にわかる」言語となっても、なんでもないことを「ただペラペラ話せる」だけでは、大学入試にパスしたり、就職を勝ち取ることに使えるわけではありません。
英語が母語的に使える「だけ」で、話せる中身とアカデミックな知識がなければ、目指すところに辿り着くには足りない可能性が高いです。
(でも世界中の友達とおしゃべりができることは素敵なことです。「ただペラペラ話す」ができなくて詰んでしまう日本人もたくさんいるわけですから、これはひとつの大事な能力です!)
おうち英語組で、「英語をペラペラ話す」憧れが強い場合、そこを優先するあまり、日本語はやらなくていいと考える場合があるようで、そこは少し心配です。
私は、「幼児期から英語の動画などをエンタメのひとつとして見て英語の音を入れていくこと」、そして「おうち英語的に(中学英語的にではなくという意味)英語を学習し始めること」は推奨していますが、「幼児期に英語を母語のように使えることを第一優先に考える必要はない」と思っていて、母語の教育をわきによけてまで、この時期のペラペラを求める必要はないと思っています。
日本語でも英語でも、アカデミックに高いレベルの学校やお給料の高い職場で求められる人になるには、常識や言葉を知っていて、頭の回転も早く、あるいはユニークなアイデアを持っていて、コミュニケーションがきちんと取れて、必要なことを責任を持って成し遂げられる力が必要です(職種にもよると思いますが)。
これらの能力は、日本語でも英語でもどちらでもいいので、どちらかの言語をベースにして、身につけていく必要があると思っています。幼児期から小中学校の時期は、これらの力を少しずつ獲得していくことが、より大切な教育なのかなと思っています。
それを踏まえて、両言語で、あるいは英語をメインにして学んでいくことが、すべての子どもにとってスムースに進むとは限りません。
アカデミックな言語習得の道のりを、本読みに例えてみます。
本のレベルと冊数を増やしていくことで、より高度な言語やアカデミック知識を習得する、と想定します。
二つの言語それぞれで、レベル1から5までの5冊の本を読んだ場合(日本語1~5、英語1~5で10冊、最高レベルはどちらも5)と、どちらかの言語で0から10のレベルまで読んだ場合(日本語か英語で10冊、最高レベルは10)は、やはり、10までの知識や思考力がある方が、アカデミックにはレベルが高いと言えそうです。
もちろん、二言語で1~5を身につけたメリットもそこに生まれるアカデミックな豊かさもあります。
両方の言語で1から10まで読むことができたら一番強いです。でも、それには、同じ時間で、10冊ではなく、20冊読む必要があるわけです。
Opportunity Costの面で、どちらかをやっているときはもう一方はできなくなるわけで、普通の能力の場合、どうしても10冊分の時間ならば、どちらかで10冊、あるいは両方で5冊ずつ、となってしまうのではないでしょうか。
ただし、たまたま言語能力がその時点で高い場合、普通は10冊読む時間で、両言語で10冊(合わせて20冊)を達成できることもあると思います。これがはじめからできる場合には、両言語でハイレベルのバイリンガルになることができるのだと思います。このような場合はどんどんバイリンガル教育を進めたらよいでしょう。
でも、すべてのお子さんがそのようではありません。
そこで、ここで私が目指したいのは、まず母語で10冊読めるようにすること、そして、二言語目で、1冊でも2冊でも4冊でも、できる範囲で読む、という考えです。それが二言語目もスルスルと6冊、8冊読めてしまう場合は、バイリンガル教育を進めていくことでよいと思います。
子どもの特性はそれぞれですので、幼児期に、身体性に長けている子もいれば、言語能力に長けている子もいます。言葉の獲得が早めの子もいれば、ゆっくりの子もいます。ですから、すべての子どもが、幼児や小学生で二言語を入れていく時に、言語能力において高いレベルを持っているわけではないと思います。
そして、たとえば5歳で、両言語とも、普通の発達よりも遅めだと言われたとしても(10冊読んでいるべき時期に、それぞれの言語で読んできたからどちらも5冊、あるいは4冊ずつしか読んでいない)、年齢が上がって、10歳〜15歳くらいになると、どちらかで読んだ内容をスッと別の言語にコピーして、そちらも読んだことにしてしまう、なんて方法を取れるようになる子もいるわけです。
その場合、ある程度の年齢までに、両言語とも、通常の発達や期待されるアカデミックレベルに追いつく、ということになります。
これは十分にあり得ることです。
ただ、二言語とも追いつくことを求める(期待する)ならば、そこには子ども自身の努力も必要になります。
ただ、もともとほかの部分の能力が長けていて、言語は得意でない場合。。
普通より、より負荷がかかる二言語習得を追う場合、その子は苦手なことでより努力を求められることになります。
一言語の場合でも、10冊読む時間に頑張っても7冊しか読めない、というお子さんもいますよね(でもそのお子さんは他のことがきっと得意です!)。その場合、もう一言語でも読むとなると、一言語で10冊、つまり二言語なら20冊を求められている一方で、その子のその時の力ではマックスで7冊なのですから、母語の方は4冊しか読めなかった、、英語では2冊しか読めなかった、、と、どんどん遅れが大きくなってしまう懸念はあると思うのです(言語ブロックを二つ積み上げなくてならないので、ひとつの場所で一つの言語ブロックを積み上げるよりも時間が余計にかかります)。
でもこれは、セミリンガル、と呼ばれるものだとは思いません。
(この言葉は根拠もなく差別的なのでやめた方がいいと思います)
単に、この時点で、時間と能力に対して要求している内容と量が多く、達成できない状態になっているのだと考えます。
一度バイリンガルになってしまえば(上の説明での、片方の言語で読んだことをスッともう一方に写せるような状態)、ワーキングメモリは普通の人より高く、100冊読まないといけない時に、効率よく、実質的に200冊読むことも可能になると思います(言語ブロックをスーッと移して作れる状態態)。
そこに達する前の段階では、、どちらの言語も平均的な力に達しない状態になることはあり得ます。
先に述べた通り、時間をかければ、どちらの言語も追いついていくこともあると思います。この場合、問題ありません。
でも、どちらの言語でも、ずっと標準を下回っている場合、、遅れがどんどん大きくなるように見える場合は、一旦、二言語を追うことを見直す必要があるのではないか、と個人的には思います。
どちらかの言語で、求められる年齢相応の言語能力、語彙や表現力、思考力、読解力に到達することを優先した方がよいのではないか、と思うのです(とりあえずどちらかの言語にしてその年齢で求められている冊数を読む)。
ここで、どちらの言語を選ぶか、チョイスがあります。
両親が日本人で、日本に暮らしている場合、基本的に母語の日本語を選ぶことになると思います。
ただ、ここで、「どうしても英語ができるようになってほしい」、あるいは「この子は日本語より英語の方がフィットして使いやすそうだ」「英語の文化圏の方が確実に生きていきやすいだろう」と思われる場合、英語を選択することもありでしょう(他のアジア圏ではわりとこの考え方が通っているようです)。でも、その場合は、おうち英語でのんびりではなく、英語圏へ移住する、あるいは最低でもインターに通わせ、家でも英語のフォローをすることは必須だと思います。もし両親が共に日本人で、海外に拠点が一切ない場合、海外の大学進学や就職事情について見積もりが甘くなる傾向があるようです。この選択をするには、お子様のために、リサーチをしっかりする覚悟が必要だと思います。
ただ、それでもこのチョイスを検討することもありだと思うのは、実際に、言語には、向き不向きがあるからです。日本語の方が得意、英語の方が得意、その子の元来持っている性質や特性によって、確実にあります。もともと母語が日本語であっても、英語の方が得意、ということもあります。
ですから、英語の方が得意で、そちらを母語にする理由と勇気と決断を持てる場合、それは一つの選択肢になるとは思います。海外に拠点を作れるまでサポートできたら素晴らしいですよね。
それでも、VISAなどの関係で将来結局日本で仕事を探さなくてはならなくなることもあるでしょう。でも、その時も、日本人で日本語がイマイチだとしても、きちんとした英語を扱えれば、英語で働ける、いわゆるTOKYOというグローバルな職場が今後の日本には必ずあるので、きっと大丈夫です。
先にも書いた通り、グローバルなマーケットで求められる人の条件には、「常識がある」「対応力がある」などの力がありますが、それは「グローバルなフィールドにおいて」となるので、英語で学んできた方が、これらの力や考え方は培いやすいです。
(日本語だけで、日本だけで生活していると、どうしても、差別的なことを気軽に発言してしまったり、意見と事実を分けて考えられなかったり、意見を主張するときに上手に相手をリスペクトして表現することができなかったりすることがあルようです。。世界に出た時に恥ずかしくない振る舞いや教養は、英語でグローバルな常識に則って学ぶことで身につけられるかもしれません(ここ数日ニュースになっているセントメリーズの入学取消しの件も、少しここに関連すると思います))。
ですから、両言語追うのが難しい場合に、「英語を選ぶ」というチョイスはあると思います。その際は、親御さんがよくリサーチし、スタンダードに足るだけの英語力をつけてあげること、それが難しい場合には、世界を知っていてバイリンガルのメンターなりアドバイザーをお子さんに用意してあげること、が大切だと思います。
お子さんは自分で選択したわけではない中、人と違う道を歩まなくてはなりません。できたら、お子さん自身のチョイスとなるように、都度、方向転換も可能なように、進めてあげられるといいのではないかと思います。
まとめると・・・
言語と文化はセット
繰り返しますが、日本での子育てにおいて、幼児期から、日常の数あるエンターテイメントの一環として、Super Simple SongsやPeppa Pig、Little Foxなど英語の歌やお話の動画を観せていくことには賛成という意見です。
一方で、乳幼児期から「一日中英語の動画だけを観せる」、「家は完全英語環境」、「日本語の番組や絵本は遠ざける」というやり方は、私の考えとは異なります。
日本に暮らしていて、乳幼児期から児童期までに、学校など家の外の社会で学んでくる日本語はたくさんたくさんありますが、絵本を読み聞かせたり、ニュースや子ども番組だったりアニメを視聴する機会は基本的に家庭にしかないので、そこの機会をなくしてしまうと、やはり、日本語の発育にはディスアドバンテージになることは否めないと思うのです。
母語を日本語するのであれば、母語の基礎を作る大切な時期に、大事なこれらをなくしてしまうことが、よいことだとは思えないのです。
※母語習得に大事な時期に「英語学習を取り入れたらよくない」ということではありません。日本語領域は大切にした方がよい、と思うだけです。
つまり。
日本語が母語で、英語も習得させたい場合。
日本語の絵本も、英語の絵本も楽しみ、日本語の番組も、英語の番組も視聴する、そのくらいの感覚が、子どもにも逃げ道があってよいのではないかと、個人的には思います。家庭において、「今は日本語の番組が見たい」、「英語やだ」、という権利は、3歳さんにもあると思うのです(この辺りは、ご家庭の方針や信念によると思うので、これはただ単に私の考えであり、どなたかに押しつけたり説得しようという気持ちはありません)。
そして、学校言語は、特に幼児から小学校あたりまでは、一定期間は固定でどちらか一つに決めた方がいいのではないかと思います。
学校言語を途中で切り替えるとバイリンガルやマルチリンガルになりやすいですが、ここには子どもへの大きな負担が生じることを忘れてはいけないと思います。子どもが望まない場合、アカデミック言語と環境を何度もスイッチすることはリスクになります(海外駐在帯同含む)。
言語が苦手なタイプのお子さんは、日本語が学年レベルを保つことをまず大切に、、英語は、日本語の邪魔をしない程度に取り入れ、私が他の記事でも書いている、現地のGrade2レベルの英語力にとりあえずしていければ、それで良いかなと思っています。
メインの言語(母語)も伸ばしていきながら、英語学習ロードマップに沿って、自分のペースで、少しずつ英語習得の道のりを歩んでいくことがよいと思います。
家での日本語学習も大事にしたいと思う理由ですが。
それは、家の外の世界とつながることを手助けすることが、家庭教育には求められていると思うからです(個人的な意見です)。
私は、子どもが幼児期に日本に暮らしていたら、(昔なら)「おかあさんといっしょ」や「アンパンマン」を観て、その地で主流のキッズ文化に触れさせてあげたいと思うし(家にキャラクターのおもちゃは置かなかったですが笑)、アメリカにいたらスペイン語バイリンガルのDoraや機関車トーマス(古い!今の子はもうDora知りませんね😅)をよその子と同じように楽しませてあげたいと思っていました。
(今はパソコンとコンピュータの時代なので、みんなが同じ番組を見ているわけではないかもしれませんが、、でもSNSの時代の若者は、逆に同じものをすさまじい勢いで共有する風潮があります。それについていっていないと、ティーンとしてはなかなか居場所が作れない雰囲気があるような気がします)
コミュニティに居心地よく所属するにはやはり言語だけでなく文化が必要だと考えます。
ですから、我が家では、子どもの言語活動に関して一番優先すべきは、「家の外(社会・コミュニティ)と学校の言語を家でフォローすること」だと考えていました。ここが第一です。
ですから、学校で日本語が学年レベルを保てている場合(学校の宿題は短時間で簡単に片付くし、テストも点数がきちんと取れている)は、家で英語の動画ばかりを観せていくこともありかもしれません。でも、もし、学校で国語がいまいち学年に追いついていない??どの教科も宿題に時間がかかる、ワークテストで点数が取れていない、、ということが、3年生くらいになっても続く場合は、英語はあくまで時々観るエンタメの位置付けにして、家での番組視聴や会話や本読みは、母語(学校言語)をメインにした方がよいという考えです。
インフルエンサーやおうち英語の方々が、「デバイスはすべて英語に!」、「日本語のテレビを見せたら終わり」というようなことをおっしゃいますが、それはあくまで、そのご家庭の選んだ取り組みであって、こういった極端な方針は、みんながその通りに真似するのがベストというわけではないと思うのです。。
このような発信をされているご家庭は、
①お子さんの能力が高く、両言語で高い能力をたまたま保てた
あるいは、
②両言語のアカデミック言語力(特にライティングなど)が必要レベルに実は育っていないことに気づいていない
場合が多いと思うのです。。
②は、帰国子女でもあり得ます。英語圏の現地校で成績がよく、授業についていけているから学年レベルの英語力がある、と思っていて、帰国子女受験などをそのまま受験すると、、、遥か上レベルが求められていたので対応できない、という例はよくあります。
現地でペラペラ話せていて、エッセイなどもなんとなく英語で埋まっていると「すごい!」と思ってしまいがちですが、何を書いてあるかが大事なのです。。文法やスペルが間違いだらけで幼い表現で内容がないエッセイだったとしても、気づけないで「できている」と思ってしまうと、ここにはまってしまうことになります(現地校の成績は日本よりずっと取りやすく、オールAは特別なことではありません)。
どちらかの言語を主にし、その言語は学年レベルをキープできるように家でのフォローも頑張る、その間、もう一方の言語は少し遅れていてもいいから、細々と続ける。そして、あるタイミングで、その主とサブを交代して、遅れていた方の言語を学年レベルまで集中して持っていく、、実際にそのようにしているご家庭は、最終的に、両言語(あるいは三言語)を、高いレベルでに扱えるようになっていると思われます。(N=15人くらいです)
延々語ってしまうことになるので、、我が家の場合でまとめます。
我が家での英語と日本語の取り組みには、特別なルールも目標もありませんでした。
子どもたちが7歳と5歳で3年半滞在したアメリカから帰国した時、幼いなりに英語がわかる状態だったので、「英語のものは英語で」「日本語のものは日本語で」鑑賞することが当然(その方が面白い)、と家族の誰もが思うようになっていました。ですから、時々観る洋画は英語で観ましたし、原作が英語の絵本や本は英語で読むようにしていました。日本のものはもちろん日本語で。
それから、日米の文化的イベントは、国をまたいでも、どちらもできるだけやっていました。アメリカにいても、桜餅を作っておひなまつりをしたり、お正月にはお節料理(もどき)をして和風に過ごしましたし、日本にいても、ハロウィンにはコスチュームを来て身内だけでもTrick or Treatingをしたり、クリスマスにはクリスマスツリーの下にプレゼントを並べてきました。
要は、住んだことのある2カ国の楽しめる、好きな季節イベントを、居る場所にこだわらずに続けていた、というだけでの話ですが。。(もし、中国やイスラム文化に少しでも住んでいたら、そういったイベントが我が家のアニュアルイベントに加わっていたはずです☺️)
言語というのは、文化と強く結びついていると思いますし、せっかく出会った文化(日本も含めて)を、できるだけ味わって楽しもう、と思う気持ちがあります。
日本人で日本に暮らしているのに、乳幼児期から、日本語の美しい絵本やむかしばなしや日本語の音遊びを避けてしまったり、アンパンマンのすさまじい吸引力(超便利!)を経験せずに幼児子育て期を過ごすのは、個人的にはもったいないのではないかと思うのです。NHK教育の「にほんごであそぼ」の「じゅげむ」とか、好きな子多いですよね☺️ 日本のことば遊び、文化、面白いです。
というわけで、長い投稿になってしまいましたが。。
おうち英語に関しての考えは、いいアイデアだからで皆やったらいい。
(本当は国として整えて欲しくて、おうち英語というものは無くなっていいと思っている)
しかしながら、やり方は大事で、日本語も大事にしたい、そして、ひとりひとりのお子さんの特性や環境によって、ベストの取り組みは変わってくるというのが私の考えです。。
広く教育として語ると、親としては、いろいろな情報をアップデートして、新しいやり方を試していくこともとても大事なのですが、何か特殊なチョイスを選ぶ(〇〇教育、おうち英語、海外駐在帯同、その他色々)ことはお子さんからすると、自分で選べない特殊な道へ行かされたことになります。
感謝されるか、文句を言われるか。
わからないことであれば、スタンダードな教育のみを提供する、というのもひとつのチョイスなのかもしれません。その場合、子どもが後々自分で選んだ特殊な道を選ぶこともできますから。。
色々考えた上で、一周回って何もしない、という結論ですね(笑)。
幼児期とティーンで二度の海外駐在に連れて行った我が子たちの、途中経過の子どもの声を紹介してみます。
17歳娘
「英語が使えることは自分のアイデンティティのひとつで、そうでない自分は考えられない、こう育ててくれてよかった。でも、私は言語や文化にとにかく好奇心が強いタイプだったから良いが、万人に二言語を追う教育(おうち英語含め)は勧めない」
15歳息子
「アカデミック言語と環境を大きく何度も変えられたせいで、友達付き合いも苦労したし、今、帰国して日本語での勉強にも苦労しているから、ずっと日本の教育を受けている方がよかった。英語ができるアドバンテージが得られたというが、この中高の日本の教育でつまづいていたら将来英語を使って何かするような立ち位置につけず、英語ができるメリットを享受することもないかもしれない。英語ができるというプラスは感じない」
とのことです😅
教育の結果は、短期的には分かりません。
息子も、もう数年したら、英語が自分の言語として使えることのアドバンテージを感じるようになるかもしれません(きっとなると思います)。でも、思春期の渦中は、それなりに苦労していると言うことです。
「ゆとり教育」も、「πを3.14でなく3と教えるなんて!」「あんな薄い教科書にして!」「やっぱりゆとり世代は勉強ができない」などと色々なことを言われてきました。その世代の子どものせいではないのに・・・。そして、それからさらに10年以上経った今、大谷翔平さんや羽生結弦さんなど、ものすごい活躍をしているこの学年は、ぴったりゆとり世代なのです。では、あの教育はやはりよかったのか?
教育の結果は、ほかにもたくさんの要因があるので、長期になればなるほどはっきり結びつけることができなくなりますし、検証するのが本当に難しいと思います。
ですから、愛する我が子のことを思うと、「ベストなチョイスをしてあげたい」と思って、ついいろいろ調べ、これだ!と思うものに飛びついたりしてしまいそうにもなりますが、子どもをよく見て、それが合っているのかな、ちょっと変えた方がいいかな、と常に修正していく気持ちは必要かと思っています。
今の時代の子育てって、大変ですよね。
子どもたちが大人になるころの社会が見えなすぎて、何がプラスになりマイナスになるのかもわかりません。私たちのような古い人間が主導するには限界がありそうです。息子に言わせると、そういうときには下手に大人がイニシアティブを取らずに放っておいて、ミニマムスタンダードなものだけを渡して欲しいそうです😅
おうち英語是か否か・・・。
結局のところ、最新の論文までチェックしたところで(それは大切なことですが)、理論通りにいかないのが子どもです。
早期英語教育に関して言えば、いろいろやり方はあるものの、害になるやり方にならないように、正しい方法のうちの一つをとって進めていくことが大切だと思います。
おうち英語組も反対派も、子どもの幸せを心から願っていることは同じです。でも、こうしてまとめを書いていて、親の思いが先行しすぎないように、気を付けていきたいなと思うのでした。
異なる考えもぜひお聞かせください☺️
長い長い投稿を読んでくださり、ありがとうございました!
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