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見えても見えなくても

週末、ピアノジャズをBGMにゆっくりポテトチップをつまみにワインを飲む。娘が小さい頃は夫と定期的に楽しんでいた。この数年、そこに娘が加わるようになった。
娘はお茶、私と夫はワインでポテトチップを囲むのをいつからか「ポテチ会」と名付けられた。私と娘のどちらかが話始め、のんびりと夫がそれに答える。話したい人が話したいことを話す。日常の夕食での会話ではなかなかできない話題になることが多い。
将来のことを娘が話し、子供時代や学生時代のことを私と夫が話す。
先日そのポテチ会で、こんな話になった。

「ママ、目が見えたらいいのにって思うことないの?」

と娘に尋ねられた。

「そりゃあるよ。でも、今ママが見えたら大変やで。情報量が多すぎてまともに目を開けてられないと思う」

視覚以外の感覚で物をとらえている私が、急に視覚に情報が流れ込んだとしても、脳がすぐにはそれを認識できないだろうという話になった。見てもこれが何なのか分からず、触って確認してやっと頭の中の物と結びつける作業がすべて必要になるだろう。夫は、目が見えていた経験があることから、今見えるようになっても何も困らず生活できるだろうと言っていた。

「じゃあさ、今私とママは同じものを見てても、違う物を見てるってこと?」

と娘。「同じ物」を見ているけど、とらえ方が違うんだと伝えた。例えば、盲導犬のエルを見たときに、娘はエルの顔や色や大きさを視覚で認識する。私はエルの臭いや手触りで「これがエルなんだな」と認識する。エルを認識する方法が違うのだと。

「ママとお父さんの目が見えたらいいのにって、よく思うんだよ」

と娘が話してくれた。

「そっか。見えたらいいなって思うんやね。なんでやろね?」

と聞くと

「なんでだろうね」

と少し間をおいてから答えた。

「この間ママとディズニーランド行ったときも思ったんだよ。見えたらいいのにって」
「そっか、見えたらいいのにって思ったんやね。でも、見えなくてもママすごい楽しかったけどね」
「それでも思うことはあるんだよ」

緩やかなジャズが流れ、誰かがポテトチップをパリパリとつまむ。ゆっくり流れる時間の中で、娘の切なさが伝わってきた。

「周りにいないじゃん。目が見えない親の子供なんて。でも、なんでそんなこと思うんだろうね」

という娘に

「たくさんの人と同じが安心するのかもね。状況は違うけど、ママもまともなお父さんやったらいいのになぁってよく思ってたわ」

と答えた。

「小さい頃も『見えたらいいのに』て言ってた?」
「言ってたよ!」

と答えながら、思い出すことがある。3歳頃だろうか。目が見えないと話す私に

「見えなかったら、テレビ前で見ればいいんだよ」

と答えた娘。それを伝えると

「何それっ!わかってないじゃん」

と爆笑していた。もう少し大きくなってからは

「ママが目が見えたら、まあちゃんが捕まえた川海老を見てもらえるのに」

と言っていた。

「ママも見えたらいいなって思うよ。でも、見えなくてもママ、触ったらわかるよ」

と答えると

「そうだね」

と納得していた。
娘が小さい頃は同じものを見たいと思っていた。視覚でとらえられる「すごい」や「きれい」を同じ形で共有したいと思っていた。でも、娘を育てていく中で、視覚で共有しなくても、一緒にいること、交わした会話やその場の空気から十分気持ちと経験を共有できるとわかったのだ。私は「見なくても楽しめる方法がある」とわかった今でも、娘には
「一緒に見たい」気持ちがあることを忘れてはいけないなと思った。
そこから、娘が小さい頃を過ごした日野市の話になった。

「ずっと外で遊んでたよね」
「そうそう、なかだの森に到着して一瞬で靴と靴下を脱いで走って言ったよ」

今から遊ぶぞ、というエネルギーを感じる娘の走り去る足音が好きだった。

「ママがなんで視覚障害があってもこんなことができます、て情報発信してるか知ってる?」

と尋ねると、わからないとの答え。小学二年生頃の娘が言ってくれた言葉が大きな原動力になっている。

「ママは毎日ご飯を作って、仕事にも行って、なんでもできる。それなのに、目が見えないことで何もできないって誤解されてるのが悲しい」

私と夫の知らないところできっとたくさん傷ついてきたんだろう。
悲しい思いをさせていることもあるはずだ。
娘が生まれる前に夫と話したことがある。
もし将来

「両親が全盲だなんて、こんな家に生まれたくなかった」

そう子供に言われたとしても、私たちは変わらず育て続けようと。だからこそ、家に帰ればほっとできる、そんな家庭を築きたいねと二人でよく話した。

子育てのゴールが18歳とするなら、残り4年半。まだまだいろんなことがあると思う。私たちの障害のことで悩んだり葛藤することもたくさんあると思う。今、13歳の娘が私たち親とこんな話をしてくれたこと、それを心から嬉しいと思った。すぐには話せないこと、話したくないこともあるはずだ。娘が話したくなったとき、しっかりとそれを受け止められる親でいたい。そのときはまたポテチ会をしよう。あなたの味方はたくさんいる。支えてくれる人はたくさんいる。娘の子育てを通じて私が感じてきたことだ。これから先、娘が育んでいく人間関係の中で、そう思える人とたくさん出会ってもらえたら嬉しい。

「見えても見えなくてもママはママやから」

そう伝えた。

「またポテチ会しようね。おやすみ」

そう言って自室に入る娘に

「おやすみ」

と声をかけた。

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