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春の日差しに母を思って

外を歩いていると、頬に当たる風が鋭さから日差しを感じるものへと変わってきた。少し前に、ダウンジャケットからトレンチコートに替えた。朝起きてすぐにストーブを付けない日も増えてきた。かと思えば真冬並みの寒さが突然やってくる日もある。行きつ戻りつしながらも、確実に冬から春へと季節の移り変わりを感じる今の時期は、ワクワクと悲しさが入り混じっている。去年の今頃、母が亡くなって初めての季節の変わり目を感じたときのことを思い出すからだ。

温かい日が増えていく度に、私や家族の日常は進んでいるのに、母の人生は息を引き取った瞬間に止まってしまったことを強く感じた。そのことを久しぶりに夜ゆっくり二人でワインを飲みながら夫に話したことがある。

「温かい日差しを感じたら、今近くに来てくれてるなって思えばいいと思うよ。どんな形でも傍にいてくれてるから」

と言ってくれたことを思い出す。それ以降、春らしい日差しを感じる度に、母の事を思い出しながら歩く時間が増えていった。心の中で日常の出来事を語りかけながら、直接話したい思いが涙となって溢れ出した。

先日神戸に住んでいる妹から連絡があった。一年経って少しずつ遺品を生理しているとのこと。母が亡くなって一か月後には賃貸契約していた実家は解約し、大きな家具や洋服などは遺品整理業者に引き取ってもらった。妹が持ち帰ったものは、大切な書類や母の個人情報に関わるものばかりだ。母のマイナンバーカードと私たちが誕生日に上げた財布をどうしようかと聞かれ、二人がいいなら私が貰いたいと言うと、妹たちは譲ってくれた。形見はいくつか持っているが、日常で使っていたものを手元に置いておきたかった。母が亡くなって改めて思ったのは、使っていた物や好きだった食べ物、暮らしていた場所にも母の存在を感じるということだ。

私が二十歳のときに引っ越して、家を出るまでの三年間過ごした実家。母が20年近く暮らし、最期の時間を過ごした家だ。1年二ヶ月もの間空き家だった家に、先日明かりが付いていたと妹が教えてくれた。妹は実家の前もよく通っている。誰もいない家を見上げながら、母がいなくなったことを感じる生活は、私以上に気持ちへのダメージが大きいと思う。明かりが付いているのを見て、母が戻ってきたのかと思ったと教えてくれた。ちょうど仕事からの帰り道、私も母の事を思い出していた。その日は珍しく19時過ぎに駅から自宅に向かって歩きながら、母は毎日こんな時間まで働いていたんだなと考えていた。仕事の帰りに買い物をして、すぐにご飯を作ってくれていた母。何も手伝わなかった私たち。lineで妹たちと

「お母さんに謝らないとあかんな」

とやり取りしていた。

「今頃気づいたん」

と笑っている母の声が頭の中に浮かんだ。明かりが付いているかつての実家は、今はもう新しい人が生活を始めている。

「おかえり」

と言って出迎えてくれ、冷蔵庫の前に座ってビールを飲んでいる母はもういなくなってしまった。強く「会って話したい」と思う春はやはり少し寂しい季節だ。

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