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【木喰の里微笑館】生誕の地の「最も行きにくい」資料館

はじめに

 木喰の里微笑館は、身延町の丸畑という小さな山間の集落に所在します。すれ違いも容易ではない山道を数キロ進んでたどり着くのです。山梨県内で通年開館している博物館施設のうち「最も行きにくい」場所にあるといっても過言ではないでしょう。 
 この微笑館は、江戸時代の僧、木喰行道(1718年~1810年、享保3年~文化7年)に関する遺品、古文書、木喰仏と呼ばれる仏像を展示する資料館です。
 微笑館の開館は1986年(昭和61年)です。当時の下部町長の決断で木喰の生誕の地である丸畑集落に資料館を建設したものです。2004年(平成16年)に下部町、中富町、身延町が合併し現在の身延町となり、現在は身延町の運営となっています。


木喰行道

 木喰行道は、江戸時代の僧で、全国を旅し各地に「木喰仏」「微笑仏」と呼ばれる独特の笑みを浮かべた仏像を1000体以上彫り残しています。現在確認されているものは600体余りです。
 また、木喰行道→木喰五行→木喰明満と生涯で3度、名を改めています。
 自伝とも呼べる文書「四国堂心願鏡しこくどうしんがんのかがみ」(寄託展示資料)などによれば、丸畑村に生まれ、数え14歳の時に「畑仕事に行く」と言い残して江戸へ向かいました。22歳の時に出家し、45歳で真言宗羅漢寺(茨城県水戸市)で、木食観海から木食戒もくじきかいを受けました。木食戒とは五穀と塩を絶ち、山菜や生の木などを食べ、さらに火を通したものは口にしないという厳しい戒律です。56歳から全国修行の旅(廻国修行)に出て、函館から鹿児島まで仏像を残しています。93歳で甥に紙位牌(寄託展示資料)を丸畑の生家に届けさせたのを最後に足取りは途絶えています。

微笑館にある木喰の廻国をイメージした彫刻

道の駅しもべ

 微笑館のある丸畑の麓の国道300号線沿いに「道の駅しもべ」があります。こちらには木喰の碑があったり、道路橋の名が「木喰橋」であるなど、この辺りが木喰の生誕の地であることが分かります。
 2022年(令和4年)7月に指定管理者制度のもとリニューアルオープンしました。バーベキュー場、古民家などあり、さらに芝生広場にキャンプ場「ゆるキャン△の里」がオープンしました。

物販施設、左奥の白いドームが展示室「ほたるドーム」の名残り

 身延町は「ゆるキャン△」の聖地のため、本年7月の「映画・ゆるキャン△」の公開もあってコーナーには関連グッズがいっぱいです。

「ゆるキャン△」映画バージョンコーナー

 ちなみにコーナーの奥には、かつて「ほたるドーム」というドーム状の展示施設(当時、入館料300円)があり閉鎖されて久しいのですが、リニューアルしてもここは閉鎖されたままになっています。

古民家とオープンしたキャンプ場

丸畑への道

 さて、微笑館へ車で侵入できる道は3本(うち1本は拡幅工事中)しかありません。筆者はそのうちの1つ、道の駅しもべの方から県道9号(市川三郷下部身延線)へ入り、案内看板のあるところから向かいました。
 大型車は侵入できない旨の標識が出ています。この先は道幅が狭くすれ違いが困難な箇所が多数あります。勾配もカーブもきつい道が続きます。

距離のほかに休館日まで示してある案内板
案内板の示す道、この先道幅は狭くなります

 また、「行きにくい」のは道路事情だけではありません。定休の水曜日のほかに、祝日の翌日は休館になります。例えば金曜日が祝日の3連休であっても、土曜日は休館してしまいます。また、大雨、降雪など悪天候になるとすぐに休館となります。電話をして開館状況を確認するのが確実です。

微笑館に用意されている地図、赤い線が3本しかない道

 鉄道+タクシー利用の場合は、タクシーが待機しているJR身延線下部温泉駅から向かうのが距離はありますがスムーズです。鉄道+徒歩ならば一之瀬駅から2時間程度の道のりを歩くことになります。このように、全く集客も団体バスのことも考えていない、それでも存続している究極の資料館です。

微笑館

 微笑館の辺りは開けていますが、それでもきつい上り傾斜です。駐車場を正面にして平屋の建物と屋外トイレがあります。平屋でも反対側から見ると2階建のように見えるくらいの急斜面に建つ建物です。
 すぐ近くに廃業してしばらく経つお土産物屋さんと食堂の建物があります。自販機はありません。人もいません。ウリ坊が横切ります。こんなところでに観光客相手のお店があったのが不思議なほどです。
 微笑館の建物は30年以上経っているのですが比較的きれいです。エアコンはありません。
 扇風機とストーブだけでしたが、2023年夏に一室だけかエアコンが設置されました。(2023.11.1追記)
 
 エントランスロビーの受付には図録やグッズがあり、その上にみうらじゅん、篠原ともえのサイン色紙が飾られています。

グッズや図録が並ぶ受付
みうらじゅん(左)、篠原ともえ(右)、ローカルなスター(?)はワカリマセン(中央)

おもてなし

 周囲に何もないということは、微笑館を訪れる人はこちらを目的地にはるばる来るのです。そんな事情があるためか、スタッフの対応の良さには定評があります。
 視聴覚室でお茶と飴をいただきながら15分間のDVD映像を見るのが見学の流れです。長テーブルにはさり気なく花が飾られ、団扇が置いてあります。
 次に、展示室へ案内されスタッフが展示資料やこの地域のことなどの解説をしてくれます。
 実は、このスタッフは身延町のシルバー人材の方たちが務めているのです。地元の知識の豊富さと気遣いの良さが光ります。

お茶をいただきながら、ひと休みにちょうどよい

 ガラスケースには、『山梨県史』『柳宗悦全集』など、木喰を扱った史料系の書籍が入っています。

柳宗悦全集など木喰を扱っている書籍

第一展示室

 木喰仏や遺品を展示する部屋です。撮影はできません。

第1展示室入口

 木喰仏は1体しかなく、レプリカが5体あります。年表のほかに、全国各地の木喰仏のマップや、写真パネルが多数飾ってあります。

リーフレットの表紙にあるレプリカ5体
リーフレットより、第一展示室(左)、第二展示室(中)、木喰仏1体とレプリカ5体(右)

 遺品は、「背負い櫃」(上記写真右)、「紙位牌」のほか、88歳のときに著した自伝ともいえる「四国堂心願鏡しこくどうしんがんのかがみ」、などが寄託されています。ほかに、廻国の間に泊った宿を記録した宿帳2種、参詣した寺社の納経帳4種、歌集4種です。
 これらは、木喰の家系のうち故伊藤平巌ひらかた氏の家に残されていたものです。「四国堂心願鏡」は民芸運動で有名な柳宗悦(1889年~1961年、明治22年~昭和36年)が木喰仏を求めて丸畑を訪れた際、懇願して一晩借用し書き写したことでも有名です。「微笑仏」とは柳の命名によるものです。
 ほかに、前述のレプリカとは別に山梨市出身の彫刻家、岡本直浩氏が復元した木喰仏が5体あります。そのうち1体は、甲府市の教安寺にあった最晩年の作と言われつつも空襲により焼失した子安観音像の復元です。2018年(平成30年)に木喰生誕300年木喰展(身延町なかとみ現代工芸美術館)にて披露された木喰の仏像再現プロジェクトのものです。
 さらに翌2019年(令和元年)、続再現プロジェクトにて全国各地の焼失した木喰仏のうち5体を選定して再現をしています。

桃畑でノミを振るう岡本氏 出典 : 身延町HP
再現された子安観音像 出典 : 身延町HP

第二展示室

 もうひとつの展示室はには、来館記念ノートや寄贈絵画、版画、紙芝居の絵などがあります。ひときわ目を引くのが、1989年(平成元年)にテレビ山梨の開局20周年記念で作った木喰仏27体の複製です。

左右のタイルはなんとなく縄文風

木喰記念館

 微笑館とは別に徒歩15分ほどのところに「木喰記念館」があります。
 木喰生家の13代目当主を名乗る伊藤勇氏が、自宅を記念館として公開してきました。勇氏は2021年(令和3年)に亡くなり、その後、記念館を公開する機会はほとんどなく無くなりました。

普段は非公開となった記念館

おわりに

 この丸畑は、周囲を山々に囲まれ景色も良く、下界と離れた別世界です。しかし、現実は道路状況も悪く、ほとんどが空き家の過疎集落です。
 それでも、微笑館には休日を中心に来館者がいるので立地の悪さはもはや関係ないのです。レプリカばかりだと評されるのですが、伊藤平巌氏が守ってきた遺品や文書は史料価値が高く、この地にあってこそのものです。
 また木喰仏に魅せられた柳宗悦が訪ねてきた場所でもありますが、そのあたりの内容は稿を改めて紹介いたします。


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