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【山梨県立考古博物館】冬季企画展「笛吹市の出土品Ⅲ─仏教の伝来と文字─」を見に行く

はじめに

 山梨県立考古博物館では企画展やミニ展示を年数回行っています。冬季企画展「笛吹市の出土品Ⅲ─仏教の伝来と文字─」(2022.12.10~2023.1.22)は笛吹市内の考古資料を紹介する3回目(3年目)となる展示です。最終となる今回は市内にある寺本廃寺、甲斐国分寺跡の瓦や市内で発掘された墨書土器などを紹介しています。

 なお、山梨県立考古博物館の概要については拙稿をご覧ください。

ミニ展示「新年干支展─卯─」

 毎年初めにエントランスロビーで行われる干支に関するミニ展示です。
 ウサギといえば、古くから月に住み餅をついているという説話があるようにたいへん身近な動物です。ウサギをかたどったものや関連する考古資料が展示されています。

小さいながらもロビーの中央で展示

 方格規矩鏡ほうかくきくきょうの復元品です。館の職員が制作したものとのこと。中心の四角い部分の篆書にて十二支が記されているとのこと。

方格規矩鏡(復元品)

 鰍沢河岸跡(富士川町・江戸時代)から出土した泥メンコのウサギです。左が「兎」、右のルーペで拡大してあるものが「兎の餅つき」です。また、茶碗は鰍沢河岸跡から出土した近代のものです。

鰍沢河岸跡の泥メンコと茶碗

 油田遺跡(南アルプス市・弥生時代)の堅杵です。ウサギが月で餅をついている時の杵のイメージですが、このような縦型の杵は本来餅をつくのではなく脱穀に使われたものです。

油田遺跡の堅杵

冬季企画展「吹市の出土品Ⅲ─仏教の伝来と文字─」

 甲斐国分寺跡が1922年(大正11年)に史跡に指定され2022年で100年を迎えました。
 現在の笛吹市の場所には国分寺、国分尼寺の跡や寺本廃寺があるなど古代甲斐における仏教文化の中心と考えられています。
 この企画展では、仏教が伝わったと考えられる古墳時代終末期から平安時代までの瓦や墨書土器を中心に182点が紹介されています。

チラシには国分寺の鬼瓦と墨書土器
企画展示室、こちらの観覧だけなら無料
入口側からの会場の概観
入口に向かって会場の概観

(1)仏教伝来と古墳時代の終焉

 古墳時代末期の古墳である笛吹市春日居町の平林2号墳の副葬品が展示されています。仏教文化の影響を受けていますが、当時は仏教思想は広まっていないことから、仏具としてではなく、珍しいものとして扱われたと考えられるとのこと。

平林2号墳の副葬品と寺の前古墳の銅碗(複製品)
奈良時代、釈迦堂遺跡の須恵器、土師器など

(2)甲斐最初の寺院、寺本廃寺

 大陸からの仏教の伝来は552年や538年と言われていますが、山梨における最古の寺院は7世紀後半の白鳳時代に建てられたと考えられる寺本廃寺です。日本が仏教を受容し広まる過程の時代に創建されたものです。

寺本廃寺の資料と写真
現在の寺本廃寺

 仏教の伝来とともに、仏教建築が大陸よりもたらされてました。瓦葺きの屋根や、五重の塔のような高層建築などこれまでにない建築でした。
 塔を支える礎石はたいへん大きなものです。

塔を支える巨大礎石と推定伽藍

 瓦葺きについては、この頃は布目瓦という表面に布の跡がある特徴のある瓦です。
 瓦は使用される場所によって特徴がありますが、軒丸瓦、軒平瓦の文様によって制作工房や時期が区分できます。まれに文字が書かれているものもあります。
 寺本廃寺の瓦は創建期(7世紀後半)と天平期(8世紀)の2種類が出土しています。

瓦の使用場所といろいろな軒丸瓦

 寺本廃寺の瓦は川田瓦窯跡(甲府市)で作られたものと分かっています。これは百済系の瓦です。この少し後に使われている天狗沢瓦窯跡(甲斐市)の瓦は高句麗系で、時期により導入した技術が異なることが興味深いです。

寺本廃寺の軒丸瓦
寺本廃寺の軒平瓦

 また、僧坊の跡からは塑像仏像の破片や墨書土器などか出土しています。

寺本廃寺の出土品

 また、寺本廃寺周辺にある国府遺跡と椚田遺跡の出土品は一般の集落にあるものではないことから役所としてま機能を持っていたのではないかと考えられています。

国府遺跡からは墨書土器、炭化米、獣足土製品など
椚田遺跡からは碗、仏鉢型土器など

(3)国分寺と国分尼寺

 741年(天平13年)のみことのりによって全国に国分寺と国分尼寺が建築されました。甲斐にも国分寺と国分尼寺が建築されましたが、現在の甲府市ではなく甲府盆地の東側で寺本廃寺にも近いことからこの辺りが当時の中心地と考えられます。

国分寺、国分尼寺関係の資料

 これまでの調査から複数の建物があったことが分かっており、それらより推定したパネルが紹介されています。

現在の国分寺と推定伽藍

 規模の大きいこれらの大建物に使用された瓦は上土器遺跡(甲府市)と寺本廃寺と同じ川田瓦窯跡(甲府市)のものが使用されています。
 のちに後から創業した上土器遺跡の瓦も寺本廃寺に供給されていて結果的に2つの窯の瓦が国分寺と寺本廃寺の両方に供給されていきました。

一番大きいのは鬼面紋鬼瓦

 国分寺周辺の遺跡から墨書土器が見つかっています。文字から寺院を支える大工の集団などの集落があったことがなど見えてきます。

周辺遺跡の墨書土器

(4)笛吹市内の古代寺院

 奈良時代、平安時代にかけて国分寺のような官の寺院や有力者の氏寺だけでなく、一般の集落にも村落寺院が建てられるようになっています。
 笛吹市八代町の瑜伽寺ゆがじ、同市春日居町の長谷寺ちょうこくじ、同市御坂町半行寺はんぎょうじ遺跡、同市境川町前付まえつけ遺跡、同市境川町温湯ぬくゆ遺跡などが紹介されています。

村落寺院の資料
瑜伽寺の土器
長谷寺の瓦、土器
半行寺遺跡、前付遺跡の瓦など
温湯遺跡の瓦や墨書土器

(5)文字の書かれた「古代甲斐」

 平安時代の笛吹市一宮の遺跡の墨書土器が展示されています。
 墨書土器の文字はたいてい底や外面に書かれています。書かれている文字は地形、地名、集団の名前、使われた場所などです。

市内の遺跡からの墨書土器

(6)古代のまじな

 奈良時代の釈迦堂遺跡から鉄製人型が6個体出土しています。都のある西日本などで出土しますがそれでも150個体ほどしかないものが、東の山梨から出土している理由はわかっていません。鉄製人形は祭祀で使用されますが、この祭祀は地元の豪族が行っていたと考えられているそうです。

人型
釈迦堂遺跡の鉄製人型
展示に登場する遺跡の場所

おまけ

 こちらにも釈迦堂遺跡博物館にあるような3Dプリンタ製の土器、土偶のガチャがありました。1回500円、つい勢いで買ってしまいそうです。

土偶のいっちゃん、一の沢の土器、容器型土偶など

おわりに

 甲斐国分寺遺跡の発掘調査は現在も行われています。仏教が入ってきた時代の甲斐の中心は笛吹市にあったことは間違いないでしょう。
 近年、笛吹市の考古資料は県立考古博物館や釈迦堂遺跡博物館の展示スペースを使用しての展示が多いように思います。これだけの遺跡が市内にあり埋蔵文化財を保管しているのですから、考古資料の専用の展示施設を市として整備してほしいと思います。
 残念ながら笛吹市春日居郷土館は考古資料専用ではないため通年の展示は出来ていません。計画通り青楓美術館を統合させるならば考古資料の展示機会はさらに減ってきます。笛吹市には文化施設の縮小よりも、展示機会を増やすことを検討していただきたいものです。

参考資料
山梨県立考古博物館「笛吹市の出土品Ⅲ─仏教の伝来と文字─」配布資料、2022

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