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【韮崎大村美術館】開館15周年記念「女性画家のやまなみ」を見に行く

はじめに

 韮崎市出身でノーベル賞受賞者の大村智博士は、美術に造詣が深く若いころより絵画などを蒐集してきました。
 そんな博士が私財を投じて2007年(平成19年)に生家の至近に設立したのが韮崎大村美術(以下、大村美術館)です。2008年(平成20年)には土地、建物、収蔵品のすべてが韮崎市に寄贈され韮崎市の運営になっています。
 2015年(平成27年)に博士のノーベル賞が決定すると、美術館の存在も全国的に知られることとなり、一時はたいへんな混雑でした。いまは落ち着つきを取り戻していてゆっくりと絵画を鑑賞できます。

大村智

 大村智(1935年~・昭和10年~)は神山村(現在の韮崎市神山町)の農家の長男として生まれました。

美術館正面にある胸像

 山梨大学を卒業後、1958年(昭和33年)東京都立墨田工業高等学校の夜間部の教師となります。町工場から汚れた手で駆け付ける生徒の姿に触発され、改めて勉学を志します。教師の傍ら昼は東京理科大学大学院で学び、1963年(昭和38年)修士課程を修了しています。
 大学院修了後の1963年(昭和38年)、山梨大学工学部の助手となり、ワイン発酵の分析を担当します。このことが、微生物によって生産される有機化合物を研究するきっかけとなり、1965年(昭和40年)29歳のときに北里研究所に入所します。1968年(昭和43年)薬学博士号、1970年(昭和45年)理学博士号をそれぞれ取得しています。
 北里研究所に入所したころより絵を買い始めます。最初に買ったのは月賦で買い求めた野田九浦(きゅうほ)の掛け軸《芭蕉》でした。博士が、美術品に興味を持ったのは母の影響だといいます。
 1971年(昭和46年)からのアメリカへ留学しますが、1973年(昭和48年)に研究室を引き継ぐため帰国します。このとき安定した研究費用を賄うため、アメリカの大手製薬会社メルク社と共同研究の契約をまとめています。この契約は「土壌の微生物から有用な物質を探し出して、動物用の抗生物質の開発を行う」というもので、研究費を提供するメルク社は特許を得るとともに売れた製品に応じたロイヤリティーを北里研究所に支払うというものでした。
 1974年(昭和49年)、静岡県伊東市の土壌のサンプルから開発されたものがエバーメクチンで、のちに改良されイベルメクチンになりました。イベルメクチンは家畜用の寄生虫薬でしたが、2割の人が失明するといわれるオンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬になることが分かりました。北里研究所とメルク社の無償提供により、アフリカや中南米で使用され多くの患者救いました。こうしたことが評価され、メルク社の研究者と共同で2015年(平成27年)ノーベル賞(生理学・医学賞)を受賞しています。

韮崎大村美術館

 韮崎市の中心部より、車で10分ほどの釜無川を渡った小高いのどかな農村のなかに美術館はあります。近くには武田八幡宮があります。
 博士は、93年(平成5年)より女子美術大学の理事、さらに97年(平成9年)から14年間は理事長を務めました。そのため、美術館の絵画は近現代の女性画家の作品を中心に常設展示しています。女性画家を中心に据える美術館はほかに類がないということです。
 入館はエントランスにある券売機でチケットを購入し、受付スタッフに渡すシステムです。すぐ隣にはミュージアムショップがあります。
 1階は常設展示と企画展示を兼ねた展示室で、片岡球子、堀文子、上村松園らの作品が展示されています。また、大村智記念室も1階にあります。
 2階は鈴木信太郎の作品を展示する記念室のほか、島岡達三や浜田庄司らの陶器を鑑賞できる展望室があります。
 館内の撮影は、外への撮影のみ可能となっています。

1階展示室より見える外の彫刻

大村智記念室

 1階の奥の部屋は、博士の研究やゆかりの品を展示している記念室です。開館10周年の期につくられました。
 博士の研究分野である有機化合物の配列図模型や論文、著述などのほか、ゴルフやスキー、卓球の道具や入賞トロフィーがあります。若いころはスキーに明け暮れ国体に2度出場するほどの腕前だそうです。最近のものでは東京2020の聖火リレートーチがあります。
 亀に関するグッズコレクションがあります。亀は長寿であることと、また、歩みは遅いが着実に歩みを進めるということから博士が好んでいるそうです。
 ノーベル賞のメダル(レプリカ?)や文化勲章の賞状もあります。
 また、父母の肖像画や写真も置かれています。

開館15周年記念「女性画家のやまなみ」

 一階は常設展示として上村松園、三岸節子、片岡球子、堀文子、荘司福ら女性作家の作品が展示されており、季節ごとに企画展が開催されます。
 開館15周年記念として「女性画家のやまなみ」(2022.9.3~11.27)を開催中で、近現代の女性画家、42人の作品51点を展示しています。

堂々の富士山、片岡球子《富士》

 美術館でも特に人気が高い作品を取り上げられていますので、記念展示にふさわしい内容です。とくにチラシの片岡球子《富士》は95歳の時の作品で博士のお気に入りの作品です。
 また、堀文子《アフガンの王女》は、黒柳徹子をモデルに書いたもので「徹子の部屋」の番組セットの中にも複製が置かれていました。
 「やまなみ」とは博士自らの命名で、「収蔵作家の中でも特に芸術文化に貢献した作家を顕彰し、また当館でも特に人気が高い作品を取り上げることで、まるで山が連なっているかのように印象付ける展覧会にしよう」(展示挨拶より)というものです。

右上より時計回りに、堀文子《アフガンの王女》、大久保婦久子《みどりの風》、佐野ぬい《オペラ・ノート》、草間彌生《ぶどう》、池田蕉園《童女遊猫図》

 なお、片岡球子《富士》は、博士の自伝の表紙にも使われています。

博士の本の表紙には、片岡球子《富士》

鈴木信太郎記念室

 2階の一室は大村博士の希望で作られた、洋画家・鈴木信太郎(1895~1989年・明治28~平成元年)の作品の展示室です。
 油彩や小説の装丁や挿し絵原画などが展示されています。こちらも季節ごとに作品を入れ替えています。

展望室

 部屋の中央のケースに陶芸品飾られて、その周りに椅子が配置され休憩ができるようになっています。コーヒーマシンによるセルフですが、景色を楽しみながらコーヒーを飲めます。
 三面がガラス張りでが富士山、茅ヶ岳、八ヶ岳が一望できます。

素晴らしい展望
七里岩と遠くに茅ケ岳


白山温泉

 美術館の向かいにある温泉施設があります。天然掛け流しの湯です。後述する「蛍雪寮」には昔の五右衛門風呂しかなく、学生たちが不便であったため、思い切って博士が私財を投じて掘削して建設しました。
 実は、美術館より近隣からの温泉利用者のほうが多く、人が途絶えません。食事には「そば処上小路」が併設され、通常は昼営業のみですが、週末は5時からの夕方営業もしています。

白山温泉入口

蛍雪寮

 生家と蔵が登録文化財に指定され、修復され自由に見学できるようになっています。また講演会やイベントにも利用されています。もとは、研究室の学生たちのセミナーハウスとして使用されていて「蛍雪寮」と名付けられました。周囲は、大村記念公園として整備が進んでいます。

蛍雪寮の見学は自由


土間から内部
公園の東屋には石臼を使っています
生家前の駐車スペースにある両親の銅像

おわりに

 韮崎駅前にある図書館の入る建物(ココリ)には、美術館のサテライトブースが設けられていて、市民や駅利用が芸術に触れられるようになっています。韮崎市は美術館に対する取り組みがたいへんに活発です。
 また博士はたびたび韮崎に帰るなどしていて、これまで故郷を大事にしてきました。
 ふと、笛吹市青楓美術館も設立者の故郷への思いが始まりでした。ノーベル賞受賞者と元教師の歴史家の違いはあるにせよ、私財を投じて地元へ文化の礎を築いたというところに共通点を感じました。

参考文献
大村智『ストックホルムへの廻り道 私の履歴書』日本経済新聞社出版、2017

参考URL
https://www.kitasato-u.ac.jp/lisci/international/index.html
大村智研究所ホームページ「抗感染症薬の発見による国際貢献」
(2022.10.5閲覧)
本稿の執筆にあたり参考にさせていただきました。


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