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【井戸尻考古館】ミニ企画展示「蛇込遺跡・広原遺跡 速報展」を見に行く

はじめに

 富士見町の井戸尻考古館にて、ミニ企画展示「町内遺跡の発掘と成果-蛇込遺跡・広原遺跡 速報展-」(2023.5.16~7.2)を開催しています。
 令和元年度(蛇込遺跡)、令和2,3年度(広原遺跡)に発掘調査が行われ、令和4年度末の2023年3月に両遺跡の発掘調査報告書が刊行されました。そうした機会に遺跡を紹介する展示です。また、両遺跡の出土品は初展示となります。

緑いっぱいの井戸尻考古館
企画展会場
刊行された両遺跡の発掘調査報告書

遺跡保護と発掘調査

 埋蔵文化財の発掘調査ですが、ご存じのように学術調査と緊急調査に大別できます。簡単に触れますと、学術調査は、研究としての目的や保存整備のために発掘調査が行われるものです。緊急調査は、建築物の建設や道路工事などにより破壊が予測される遺跡を記録保存するための調査です。全国で行われる発掘調査のおよそ9割が緊急調査だといいます。
 ところで、井戸尻考古館の北側の私有地で続けられている発掘調査は3年目となりました。これは、曽利遺跡の史跡整備に向けた調査として行われているもので、令和3年度より発掘調査が3年計画で進められていたものです。これは学術調査になります。

本年度の発掘調査中の曽利遺跡 (井戸尻考古館の敷地内より撮影)

蛇込遺跡・広原遺跡速報展

この土器に注目です

 今回紹介される2つの遺跡、蛇込じゃこめ遺跡と広原ひろっぱら遺跡には共通点があります。それは、太陽光発電事業に伴う緊急調査であったことです。
 特に遺跡の多い富士見町では遺跡の照会や調査が多いと聞きますが、遺跡の上に建築物を作る場合、遺跡保護の観点から最小限の破壊で済む方法を探るといいます。
 蛇込遺跡と広原遺跡の場合はいずれも太陽光パネルの設置について事業者と話し合い、盛り土をしてその上にパネルを設置することで事業者と合意に至りました。
 ただし、発掘と展示を担当されたS学芸員に伺ったところ、発掘調査を行うより盛り土をするほうが事業者は費用的に安く済むとのこと。事業用地の発掘調査は事業者の負担になります。

蛇込遺跡、広原遺跡(赤印)と井戸尻考古館(青印)
展示外観

蛇込遺跡

 発掘調査報告書の表紙には「太陽光発電所建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」とあります。前述のとおり再生可能エネルギーが増える中で起きる発掘調査です。
 太陽光パネルの設置については盛り土で保存することになったものの排水溝の設置は避けられませんでした。そうしたことから、調査内容は次のものでした。
①「排水溝」の設置に伴い掘削する箇所については記録保存の調査
②盛り土を行う箇所についても、遺跡の広がりを確認するための試掘調査
 その結果、試掘調査からは中期後葉の住居址4軒が発見されています。また、唐草文系土器の多さに特徴があり、重要な発見につながっています。

蛇込遺跡の1号住居址と2号住居址
蛇込遺跡の展示ケース

 唐草文系土器は長野県の諏訪湖盆地、伊那谷、松本平、千曲川水系(『日本土器事典』)など中部南部に多く分布します。井戸尻編年の曽利式とは異なる様相といえますが、その東端、つまり唐草文系と曽利式の境界ははっきりしていませんでした。
 S学芸員によれば、蛇込遺跡から見つかった唐草文系土器はおよそ3割で多い部類になります。すぐ近くには立場川があり立場川が唐草文系との境になることをこれまでより証明できる資料になりうるとのことです。
 展示ケースには1号住居から出土した土器が3点あります。中央の深鉢は唐草文土器です。左の埋甕と右の深鉢は曽利式土器です。同じ住居から様相の異なる土器が見つかっています。

1号住居の土器3点

 さらに注目は独立ケースに展示された土器です。今回のミニ展示のポスターに映るこの土器は唐草文系土器(下部)と曽利式土器(上部)が組み合わされています。唐草文系と曽利式の時期が重なることが分かる貴重な資料です。

独立ケースにある埋め甕

 これは埋め甕とのことです。埋め甕は死者を葬ったり特別な土器であるため、唐草文系が主体的に使われていたと思われます。しかし、曽利式の意匠もあることから完全な主体ではないと考えられるようです。

唐草文の上に曽利式をまとったかのような深鉢
上部は蓋のようにかぶせられています

 さらに、1号住居からは磨り臼、石包丁、石鏃石鍬、磨製石斧など生活のための石器が発見されています。

1号住居の石器

 2号住居からも石器が多数発見されましたが、復元可能な土器は見つかっていないとのこと。

 こちらの土器片は地割れの跡にあったのもののうちの一部です。中期後葉の時代に巨大な地震かあったと考えられます。

地割れの跡の土器片

 また、予備調査として富士見中学校1年生による表面の表面採取が行われました。土器片や石器をプラスチックコンテナに半分採取できたそうです。S学芸員によれば、総合学習をしていた時期と発掘調査の予定が重なり、さらに表面から拾える土器片が多かったため、採取を行えたとのこと。

表面採取の様子
中学生が採取した石器の一部

広原遺跡

 発掘調査報告書の表紙に「太陽光発電所建設水路付け替え工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」とあります。
 こちらも盛り土にて太陽光パネルを設置することで遺跡の保護を図ることが合意されましたが、「調整池」「変電設備」については遺跡の破壊が免れず、調査となりました。さらに、もともと地内にあった水路を移設する必要も生じ、水路移設部分について調査を行っています。
 水路となる部分は80センチメートルの幅で調査を行い、4軒の住居址を発見し、そのうち1軒(3号住居)には土器が集中して遺棄されていました。

遺棄された土器(左)と水路部分の幅で調査(右)

 A区(令和2年)とB区とその隣地C区(令和3年)の3区に分けて調査しています。

広原遺跡の展示ケース

 C区には集中的に遺棄されていた3号住居があります。左側3つの深鉢は曽利Ⅱ式とⅢ式です。

遺棄されていた土器たち

 広口壺ですが鍔があります。鍔の内側に赤色の顔料がわずかに残っていたとのこと。

鍔付き広口壺

 こちらにも唐草文系土器があり、曽利式と同じところに遺棄されていました。

唐草文系深鉢

 B区は集落の墓であり、その隣地C区からは墓穴と考えられる小竪穴が多数見つかっています。
 小竪穴から発見された磨製石斧は、長野県北部を産地とする透閃石岩がで作られているといいます。

定角式磨製石斧

 墓穴と考えられる小竪穴からは中期中葉から後葉の典型的な石器類が見つかっています。

棒状礫器、石鏃、剥片石器、石錘、石鍬、丸石

おわりに

 以上、蛇込遺跡、広原遺跡の展示でした。再生可能エネルギーの活用が推進されていますが、大規模な太陽光パネルの設置と遺跡保護の問題は今後も起こりうる問題のように思いました。
 蛇込遺跡の唐草文系と曽利式の融合土器は貴重な資料です。鎧をまとったかのような強い印象を受けました。常設展示される予定はないとのことなので今回が見られるチャンスになります。

近くの水田では田植えが終わっていました

参考資料
井戸尻考古館「ミニ企画展示 町内遺跡の発掘と成果-蛇込遺跡・広原遺跡速報展-」展示解説シート、2023

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