刀の話

論理的な人は、論破するのが好きなものだ。

ディベートなんていうスポーツもある。


かく言う私もどちらかというとロジカルな方面を商売にして暮らしてきたので、その気になればそれなりに理屈を捏ねて誰かを説き伏せたりせんでもない。まあそこまで腕力を発揮せずとも、論理的な言葉と説明で自分の考えを適切に伝え、結果相手が考えを変えるということは珍しくない。


でも今日くだらない会議に出ながらふと思い至った。

私が誰かを切った刀は、いつか私を切るものでもあるのだと。



「論理」または「論理的であること」は時に多いに助けてくれる。そのこと自体は間違いない。でも「論理的であること」は必ずしも「善」ではない。時にはただ非情でしかありえないことさえあるのだ。振りかざした論理は、同じだけの「正しさ」でいつか私を切るだろう。


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