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今年中に始めたいこと

 今、やってみたいことがある。

  起業。

 精神科病院で作業療法士として結構長い間働いてきた。だいぶ疲れていたので、ちょっと前に異業種に転職してみたが、なんだか役に立たず、興味も深まらない。病院勤務時の私はもう少し有能だったと記憶している。
 過ぎ去った過去の記憶は美しく装飾されていくものらしいから、真実はちょっとわからない。

 作業療法室は、特に精神科病院においては、手工芸や工作、アートなどのの材料や道具、楽器、運動器具、手先や感覚器、脳みそを刺激する遊具や、誰かの作品などがごちゃごちゃと(すみません、すっきり整理整頓されているところもありましょう。)あり、そこにいると、ただ毎日面白いことを探しては無心にとりくんでいた子供時代を思い出して楽しくなってくる。

 病気や怪我といった、人生の一大事に頼ることになる病院は、清潔第一でなんだか、無機質である。近年は木の質感やパステルカラーの設備、絵画や観葉植物などを用い、安心感のある空間を作っているところも増えてきたが、そんな環境の中でも、作業療法室のものにあふれたごちゃっと色とりどりな感じは特別だと感じる。

 「できるだけ早く元の元気な状態に戻りたくて。」「入院生活が退屈すぎて。」「面倒なんだけど、病棟の看護師さんがリハビリに行ってこいとうるさくて。」「こんなことしてて何の意味があるのかな。」など、集まってくる人の心の内は様々であるが、入室してしまうと、ただぼんやり眺めているのも居心地悪く、何かに取り組んだり、取り組むふりをしてみたりすることになる。

 病気や怪我などの衝撃を受けてしばらくは病気や怪我そのものの苦しみと、今何が起きているのかをきちんと知りたくて落ち着かない気持ち、これから生活や人生がどうなっていくのだろうかという不安、病気や怪我をしてしまい日常生活を一時中断しないといけないという罪悪感や焦りや自己肯定感の低下など、どんよりとした心持ちでいっぱいになる。
 なんとか解決を求めてぐるぐると思考するばかりで、今目の前にある時間をどう過ごすか、「いま、ここ」に気持ちが向きづらい。
 それでも排泄や入浴、食事、睡眠を整えていくうちに何か落ち着きというかあきらめというか、今はここにいるしかないということを受け入れて周囲の人と話したりすることができるようになってくる。

 このくらいの状況で作業療法室の出番がやってくる。
 切羽詰まった状況だったはずの自分の前に、なんだかのんきな、ちょっと子供じみた、色鮮やかで楽し気な空間が開かれる。拍子抜けするような気持ちにもなるかもしれない。

 昨今日本社会は、というかたぶん世界の多くの場所では、生産性第一で、コスパタイパなどと合理性が追及され、時間の流れがどんどん早くなって、キラキラ輝いている人がテレビやネットなどいろんな媒体で目について、ゲームやスマホの強い刺激が当たり前で、みんな疲れているけど「疲れてるはずはない。」と気づかないふりして背伸びして頑張りすぎているように見える。
 「力を抜くこと」「頑張りすぎないこと」の大切さに気づいて自分を大切にできるようになるには、社会の普通と自分のコンディションとのギャップに傷ついてちょっと失望することも体験せざるを得ないことが多いようだ。
 
 脳みそがバランスよく成長するためには、子供時代からの年齢相応の遊びや学習の体験を通して全身から刺激を受ける必要がある。ゲームやスマホが生まれたときから身近にある時代を育っている現代っ子は体力もストレス耐性も、問題解決能力も身に着ける機会に乏しく、これがまた社会が求める生産的な人材と自身の能力のギャップを大きくしてしまい、現実社会を生きる希望を見失ってしまいやすい。
 なんとか、社会の流れにそって学校を卒業し働く世代に突入しても、理不尽な対人関係や、興味の持てない快刺激の少ない業務で、もとより蓄えられにくいエネルギーはすぐに枯渇してしまう。

 「レクリエーション」と聞くと集団でするゲームを思い浮かべる人が多いと思うが、本来は「Re(再び)」「Creation(作ること)」という単語でできており、「再び人間性を取り戻す活動」であると学校で教えられた。
 「人間性」とは、私見であるが、ただ食べて寝て排泄して生殖して、生息し続けているだけではなく、生きるためのあらゆる活動を通して得られる喜怒哀楽を味わい、それらを他者と共有してつながり、心地よく支えあいながらお互いの変化を祝い、豊かに生きることだと思う。

 作業療法室にはその広義の「レクリエーション」の材料と、今まさにそれらを体験して生きる力を取り戻す人、生きる力を取り戻して新たな自分として社会に戻っていった人の置き土産や記念品としての作品などが数多存在しており、それらが特別に力強く光を放っているのである。

 そして冒頭の「今やってみたいこと」。
 それは、「街の作業療法室」を開設すること。
 病院に来るほど切羽詰まってはいないが、なんだか疲れてぼんやり不調を感じている現代の大人達へ作業療法を提供できるサロンを作りたい。
 日常生活に、役割を忘れて何かに取り組んだり、のんびりとリラックスして他者と楽しんだりする時間を取り入れて、しばし充電し、活力を取り戻して日常生活に戻っていく。それぞれが、思い思いの活動をしながら一定の時間と場所を共有し、程よいつながりを楽しむ。そんな場所を作りたい。

 サラリーマン生活を続けてきた自分が起業しようなんて、どこか雲をつかむような感じで一体何から始めたらいいかわからないので、ここで思いを文章にまとめ、自分にも社会にも決意を表明することにした次第である。
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