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ものをつくるということとそのおわりについて-混沌と秩序-

常に自問自答していることがある。「なぜ作品などを作っているのだろう? 作ってどうする? 意味があるの?

ものづくりを続けている者なら一度ならずとも自分自身に問う言葉ではないかと思う。私は言動に自信がないので、この強迫観念にかられる。今回、Hasu no hanaでの展示(2018年に開催した)にあたり、ずっと抱えていたこの疑問を解消すべく、創造の出発点や終着点はどこなのか自分なりに考察してみることにした。

創造のはじめ:どこでつくるか

私が作品として作り出す最初は経験による「もやもや」した、言葉でうまく説明できない目に見えない感情だ。それは頭の中でいつもぐるぐる渦巻いていて、それがいわゆる「混沌」とした状態のような印象があった。そこからふっと湧き上がった「もやもやの一片」を現実にある素材(私の場合は布や糸、刺繍)を生かし、他人に理解してもらいやすい「目に見えるかたち」に表現し「目に見えないもの」をつくる。混沌の言葉の意味をちゃんと調べみた。
 
混沌(こんとん)
1 .天地創造の神話で,天と地がまだ分かれず,まじり合っている状態。カオス。2 .入りまじって区別がつかず,はっきりしないさま(大辞林より)
 
chaos{カオス}
1.無秩序,大混乱 《★【類語】 ⇒confusion》
2.天地創造以前の混沌(こんとん) (⇔cosmos).[ギリシャ語「深い淵(ふち)」の意; 形容詞 chaotic]
 
改めて意味を調べると、私の考えていた混沌状態ではないように思えてきた。多少なりともルールのある社会の中で生きている私は完全な混沌の中での存在はあり得ないし、その状態に持っていくことさえ不可能なのではないか?すでに肉体的形成自体が混沌ではない。
 では私が創造するところは完全な混沌状態ではないのならそれはどこからなのか?ということで混沌の反対の世界とはどんな世界なのかな?と思い混沌の対義語を調べてみた。

混沌の対義語:秩序(オーダー)
 
秩序(ちつじょ)
1.物事の正しい順序。 「 -正しく行動する」
2. 社会の諸要素が相互に一定の関係・規則によって結びつき,調和を保っている状態。(大辞林より)
 
order {オーダー}
1. (社会の)秩序 治安 (⇔disorder). 2. (自然の)理法 道理秩序
 
 自分にはしっくりこない。苦手な2文字だ。
“調和を保つ”というと平和感あるけど、“要素が一定の関係と規則によって結びつき”というところに個人的には束縛を感じる。落ち着かない。
しかし何かの手がかりがなければものは作れない。混沌だけの世界では不可能だ。ではその手がかりはどうやってその混沌とした世界に存在しつつ、みつけられることできるのか?
 そこをキーとして研究や創造する動機などを様々な分野の人に聞いてみた。それを総括すると、ものごとの本質に迫ろうとする姿勢は「経験から来る衝撃や印象」と「ひらめき」と「継続」がキーポイントだった。「ものごとの本質に迫ろうとする姿勢」はどの世界でも同じらしい。
 
「経験」これは完全混沌状態では構築できないはず。その人のもともと持つ情報を生かし、学んでゆくものだから。継続も。経験と継続は秩序ある世界で得るもの。やっぱり秩序の世界が創造には必要なのか。
しかし「ひらめき」とは…一体どこからくるのか?これは混沌状態でなければ得られない感覚なのかもしれない。
 結果、混沌と秩序両方の中で創造はおこなわれるのではないだろうか、と想定した。

過程:つくっているときの感情つくることの意味


では混沌と秩序の中で得られるもの(最初のもやもやの一片)をどう形にしていくか。螺旋階段のようにぐるぐるしながら本質をさぐるのはどの分野でも同じだった。三歩進んで二三歩下がる。わたしの場合はスイッチバック方式。なかなか進まない。漠然とした感情を秩序の中で、組み立て、素材におとしこむ。これが苦しいところ。なかなかメージ通りにおとしこめない。様々な方法を試し、心地よい見え方を探求する。
 その時間は5秒で決まる時もあるし、5時間、5日、それ以上かかる時もある。もう嫌になって作品を放置、何年か経ってふと気になり、それを引っ張り出して作り上げる時も多い。
そしてその結果、時間がどれだけかかっても時間と作品はどれも「同じ」なのだ。
また、わたしの制作の場合はどんどん細部にこだわっていく。大きい布を裁断し、様々な布を組み合わせ、そこに糸で刺繍を施す。刺繍のステッチもだんだん細かくなってくる。小さいステッチをくりかえし刺している瞬間、時間軸も吹っ飛んで恍惚とした感覚にとらわれる。
 
秩序だてて素材を扱い、目に見える形にしているはずなのに、時間を超えてまた混沌の世界に戻り迷い込んだ感覚になる。混沌から秩序へ進んでいるつもりでもまた混沌に戻ったりの繰り返しで制作をしているのに気が付いた。あれ?もしかして、ぐるぐるループしてる?


終焉:つくったあとはどこへいくのか

対義語であるはずの二つの世界が制作中はループしている感覚から、混沌と秩序の関係を視覚的に理解するため、表をつくってみた。
 
混沌(chaos)は対義語として秩序(order)の他に宇宙(cosmic)という意味もあるという説をみつけた。
対義語としては宇宙(cosmic)のほうが私としてはしっくりくる。では混沌(chaos)と宇宙(cosmic)、秩序(order)と無秩序(disorder)という対義語をあげてそれらははたして同じ意味なのかチャートにして考えた。
 

文章だとわからないけど図にするとわかりやすい?


混沌からどんな引き金から反対の世界へ動くのか?終焉は?そして動かすための理由などを書き出した。
 面白いことに常に秩序(宇宙)も混沌(無秩序)も動態で、時間や他のインパクトによって成立し、崩れ、形がつくられているようで、形はなくなってゆく。そしてこれの繰り返しなのだ。いや、繰り返しというよりも混沌の中に秩序があり、また秩序の中に混沌がある。また見方を変えると対極にある。
 
一般には秩序と混沌は対極にあるように思えるのだが、創造の世界では秩序と混沌を往来したり、またはそれらが重なった世界に見えているようだ。混沌と秩序が重なった世界では日常が異なる視覚で考察でき、それを表現することで新たな視覚を他者に伝えるのが私たち美術家の役割なのかもしれない。
 
創造することは秩序と混沌の世界を行ったり来たりそれを繰り返しているだけで、何をやってもわたしの活動は自己満足な堂々巡りではないのかと最初はがっかりした。だが、その流れを辿ってみると「動き」や「見えたもの」はなんらかの未来に引き継がれていくものがあるようだ。引き継がれないと混沌から秩序へ秩序から混沌へ流れていかないから。
 わたしたちが厳しく細かいルールを作って満足したにしろ、デストロイヤーになり、破壊しまくって混沌へ持っていくにしろ、無意味に生き、そして死という形になったにしろ、そういう「動き」こそが世界を、宇宙をつくっているのではないかと思う。無駄な「動き」はひとつもない
 

お得意の絵でさらに図を表現してみた。


作品を作ることもその「動き」のひとつ。出来上がった作品を他者が鑑賞し、感動してくれたり野次ったりすることも「動き」、作品が売れて誰かのお家に存在することも、売れなくて家の倉庫で朽ちてしまってもそれは「動き」のひとつ。それが世界をつくってる。
 私とそしてこの作品達の存在自体がちょっぴりこの世界に貢献しているのだと思うとうれしくなった。

※2018年の個展時に書いた文章です。

生きてるってなんかうれしい


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