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着る服がない

大量の洋服を目の前にして「あぁ着る服がない...」と頭をかかえたり、支度を終え玄関の鍵をしめながらも、絶望感に似た気持ちに襲われて着替えに戻った経験ありませんか?

正直、私は制服を脱いだ日から、人生の半分くらいをそんな気持ちで過ごしてきたかもしれません。

この記事は、なんだか私の人生の反省文のような、自問自答のような、自身に言い聞かせるものになりそうです。

足るを知る

古代中国の思想家「老子」の「知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。」という言葉。

「人を知るものは知識、智恵を持っている。自分を知るものは明(智恵を越える智恵)である。人に勝つものは力(一時的なもの)を持っている。自分に勝つものは強さ(本質的なもの)を持っている。本質を知っているものは本質的な富を得ることができる(足るを知るものは富む)。足りているということを知って行動する者は志を持っている」という意味。

十分に足りていることを知る、満足を知る、幸せを知るということ。すなわち、『思考のぬしは誰ですか?』で書いた、何が君の幸せ?何を見て喜ぶ?を知っているかどうかが「知足者富(足るを知る)」ということなのではないのでしょうか。

着る服がない!

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着る服がない!鞄がない!靴がない!
クローゼットから全部のモノを出して、鏡の前で頭を抱える。いま考えるともったいない時間だっなとも思います。

実際服がないわけではありません。安いものから高いものまでありとあらゆる服が、入りきらないくらいあるんです。それなのに、その大勢の服たちを目のまえに「着る服がない」と虚無感におそわれるのです。

なんでたくさんの服に囲まれるのか、その理由は自分に自信がないからです。
服の中身、私本体に自信が無いから、新しい服、流行りのもので着飾って、武装しているのです。

自分の欠点と美点を理解し、認めてあげる、さらに「好き」よりも「似合う」を優先することで、大量のものを買い込む必要がなくなるのです。

けどけどいつかはいつでもない

ニット、デニム、靴下、下着、パジャマにコート、ワンピースや靴にアクセサリー。

どのアイテムにおいても『気を遣わず、無理をしない、自分の欠点をチャーミングに変換し美点をより際立たせてくれる、色もデザインも好きで、気分があがる』そういうもので囲まれていれば、自然と「選択時間」が減少します。

着るとなんでか肌が暗く見える、太って見える、締め付けが気になる、
「可愛いけど」「すてきだけど」「はやりだけど」けどけどは結局、出かけに玄関で“やっぱちがう”と着替えるアイテムなんです。

いつか着る」「いつかまた流行る」「いつかつかう」のいつかは結局いつかで、いつまでたっても選ばれないんです。

自分の定規で計ったときに、安すぎず高すぎない、目に入ると「やっぱり好きだな」という生地、素材、フォルムに色、デザイン、そういったアイテムをまとっていると、ちょっと背筋が伸びます。

ベストマッチなものってそうそう出会えません。そうそう出会えないから、持ち物の数が自然と減り、少ないもちものでも満足がいくんです。

100着の似合わないアイテムより2着の似合うアイテムがあったら「着る服がない!」なんて思う朝はなくなりますよね。

とっちらかったままだけど、まとめてみよう

実はこの記事、結構前に書き始めたんです。
なんだか筆がすすまなくて、ずっとおいてありました。

買い物が大好きな自分を否定する感じがして目をそむけていました。
それでなくっても自己肯定感が地の底を這い気味で、心がこの記事を書き進めることに抵抗していました。

そんな時「足るを知る」という言葉を目にして、はっとしました。
「私ってば、常にもっともっとって飢えてて疲れてない?」

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そのこと自体、自己肯定感を下げるし、自分に言い訳をしたり、選択につかれたり、不安を感じるきっかけになっていない?そう感じたのです。

足りる、すなわち「満足」を感じるということは、「幸せ」と実感することなんです。

いますぐに、クローゼットから洋服を10着に絞るなんて無理だし、なんにも買わないなんてちょっとときめきが減りすぎてしまう。

何せ長年繰り返してきた癖や思考、趣味にそれこそ、モノ達がある以上、極端になにかを「しなきゃ」と思うのは危険です。

だからね、例えば食品を買うときに、食品ロスや摂取量を意識する、モノを買うときも、ストックや今あるものを意識する、少しの意識、少しの気付きの積み重ねが将来につながることを忘れないで、1日1回「足るを知る」を意識することから初めてみます。

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