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私が厳しく指導するたった一つのこと。

昔から、なのだが
私は「見た目とは全然違う」と
言われます。

しっかり者に見えるそうですが、
中身は天然だそうです。

「天然」といわれても
ピンとこないのですが、
かつて肌身離さず持ち歩いていた
書籍たちの著者である
宮台真司教授は
天然が最も生きやすいと
彼の著書に記していました。

宮台真司教授の書籍は
最近は全く読まなくなりましたが
オススメなのが
「サイファ!覚醒せよ」です。

大学生だった私に
自分が生きている価値を
知らせてくれるような
そんな本でした。



話がそれましたね💧

私と初めて会うお子さんの中には
最初から私を見下している
お子さんもいらっしゃいます(笑)

そんなお子さんから
主導権を奪い取るのが
私はとっても好きなんです😊

ただ、そういうお子さんは
厳しく教える必要はありません。

先生と児童生徒の関係を
構築する必要すら
ないように思えます。
(でも、主導権は握ります)


それでは、一体、
私が厳しく教えるお子さんは
どのようなお子さんであり、
どのようなことに対して
厳しく教えているのでしょう。

今日はこの辺をお話ししていきます。


1.受動的な子ども

私は、
与られるのを待つだけのお子さんを
厳しく指導しています。

「厳しく」といっても
怒鳴り散らしたり
叱り飛ばしたりするでは
ありません。

ただただ静かな時が
流れている時もあります。

そういう時は大体、
お子さんからの発信を
私が待ち続けている時であり、
お子さんは、
その勇気を出す
心の準備をしている時でしょう。

私はカエルを睨む蛇のように
目の前のお子さんを
凝視するだけなので、
お子さんは自分でアクションしようと
必死なのです。

アクションしないことには
この時間が延々と続くから、です(笑)

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2.受動から能動へ

お子さんの自発性に対して
どうして私がこだわるのかというと、
「自分から発信する」ということを
日本の教育ではまだまだ
嫌う性質があるからです。

確かに学習内容には
自己発信の重要性を
解いたものもありますが、
それは日本の伝統的な
教育の前では脆弱すぎます。


それに、
発信をしないお子さんは
サポートされることを
学んでしまいます。

「自分は何もしなくても
誰かが手を差し伸べてくれる」

そういう考えをも
学んでしまう結果になるのです。


人間も生き物なので、
「楽」ということを
脳が自然に選んでしまいます。

誰かに従うことは楽かもしれません。

なぜなら、
自分で考えなくて良いからです。

誰かにサポートしてもらえる人生も
楽だと私は思います。

なぜなら、
自分の体や心を動かす必要が
ないからです。


こういう生き方を
私はお子さんたちにしてほしくありません

自分の人生なのですから
物事を自分で選んで自分で決めて
自分で行動する人に育って欲しいのです。

そのためには、
お子さん自身の自発性が
欠かせないように思うのです。



3.自分の人生を生きる

世の中には、様々な人がいます

他人のサポートなしには生きていけない人
他人の目を常に気にしている人
他人に合わせることで安心する人
他人に支配されることで自己有用感を得ている人

などなど。

人は一人では生きていけないものの、
自分のことすら
他人任せになってしまうのは
見当違いだと思うのです。


誰かに頼らないで生きていきなさい、
ということを言いたいわけでは
ありません。

誰かのサポートを得るなら
自分が叶えたいことがあるから
そこへの助力を求めることが
大切だと思うのです。


お子さんが大人になってから
他人ではなく自分自身の
人生を豊かに生きるためにも
「子ども」と呼ばれる時期に
自発性を養っていきたいですし、
自分自身を見つけて欲しいと
思っています。


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