僕が

僕が未経験から自社開発サービスの正社員エンジニアになるまで

初めまして!
自社開発サービスの正社員エンジニアのあずまっくすです。
現在は、株式会社ペライチのWEBエンジニアとして働いています。

フリーランスエンジニアのとっくんさんのように、
「自分の経歴をまとめようかなー」
とツイッターでつぶやいたところ、
ご本人からコメントをいただいくことができました。


そんなわけで、
僕がどんな人間か、経歴を含めてどうやってWEBエンジニアになったのか
をまとめたいと思います!

1. 人生のスタートは?

僕が (1)


僕は理系大学の出身です。
ITに強い学生と想像されることが多いですが、 
ITにはめっぽう弱く、特にプログラミング言語「PHP」と「C言語」
の学習は2回挫折をしています。

僕の大学では大学院まで進学する生徒が8割以上で、
僕ももれなく受験をしました。
結果、友人は全員合格し、私だけが不合格となってしまいました。
(シンプルな実力不足が理由です)


友人や教授は、別の大学院の受験があるから受験したらどうか?
と言ってくれましたが、

「全然大学院に行きたくない」

と思っている自分がそこにいました。

この不合格をきっかけに初めて自分の気持ちに向き合うことができ、
本当は大学院に行きたかったのではなく、
友人たちと一緒に居たかっただけだったんだと気づきました。

ここから、決められた人生のレールを外れて、
自らの人生を歩んでいくことになります。


2. 大学院受験失敗、その後どうした?

僕が (2)


新卒で入った会社ではSIerとして働きました。

この時の僕は完全に情弱でした。

プログラミングの仕事するのかー!
カッコいいなーと思っていました。

が、

僕が配属されたのは、システムの運用業務でした。

例えばこんな感じでした・・
・完成されたシステム安定稼働を見守る
・ユーザーのお問い合わせに答えたりする
・障害が発生したら頑張って直す


情弱すぎて、

まぁいつかプログラミングとかやったりするんだろうな

とずっと信じていました。

誰にも言っていませんでしたが、
プログラミングの参考書(C++)を購入し、
1年ぶり3回目のプログラミング挫折経験も積んでおります。


そんなこんなで情弱の僕は
下記のようなルーティーンをガムシャラに繰り返していました。

🔻ガムシャラルーティーン🔻

・プログラミング挫折しっかり味わう
・上司や先輩からも可愛がられる
・飲み会の幹事を率先して実施する
・毎日電話を取ってお問い合わせ対応。
・夜中まで残って報告資料作成。

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気づけば、
日本を象徴する「サラリーマン」に進化!


自分のキャリアをどうするなど考えもしませんでした。
みんな同じだし、お給料もいいし。

でも

当時の僕には、密かな夢がありました。

🔻密かな夢🔻

「海外でエンジニアとして働けたらいいなぁ」
「学生の時に留学してみたかったなぁ、若い子はいいなぁ」

当時、新卒2年目の24歳でした。


3. 夢諦められず

僕が (3)


急にどうした!!
と思う方もいらっしゃるかもしれません。

🔻ことの経緯🔻

・新卒2年目、英会話教室に通い始める
・会社の夏休みを使い、2週間ハワイに短期留学に行く
・英会話教室に3年通い、本気で海外留学を考えるようになる
・(同時に会社を退職しようと考え始める)


「留学したかったなー」
という気持ちを「英会話教室」や「ハワイ短期留学」にぶつけました。
そして貯金を全てここで使い果たしました。(当時27才)



いよいよ英会話教室だけでは飽き足らず、長期留学をしたい!

アラサーだけど諦められない!

とうとう留学を決意しました。


ただ、決意と同時に思うことがありました。

あずまゆうきとは


めちゃめちゃ偏見ですが、社会人が語学留学してガチで勉強して帰ってくる人はほとんどいません。(ワーホリのガチ勢の方はごめんなさい)

ただ、恐らく自分の場合、
留学したら適当に語学学校に通い、
日本食のレストランでアルバイトをしながらヘラヘラし、
帰国した際には、

「まじ、人生観変わったわ」

と言うニンゲンになってしまうだろうな。と危惧していました。
そのため、必ず大きな成長をして帰ってこれるような留学にしたいと心から思い、どうすればいいのか考えました。

ここで裏にしておいた密かな夢が発動します。

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「海外でエンジニアとして働いてみたい」発動!

🤔<「英語とプログラミングも勉強しなければ・・・」
🤔<「英語+プログラミングで有名な国・・しかも金ないから安いとこ」
🇮🇳「あぁ、インドか。」

こうしてインド留学を決意したのでした。


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留学に意気込むぼく

ちなみに、サラリーマン時代の上司は本当にいい人でした。
よく面倒を見てくれただけではなく、
留学の相談をした時も背中を押してくれました。
今でも本当に感謝しています。

当時、新卒5年の28歳でした。まだプログラミングを始めていません。


 4. 1年間のインド生活がスタート

僕が (4)

インドで毎日おなか痛いとか、話したいエピソードは100ありますが、
ここではプログラミングだけにフォーカスした話をします。


みなさんがプログラミングを勉強する時は、
おそらく大きく2つの方法で実施しているかと思います。

・誰かに教わる(プログラミングスクールなど)
・独学する(progateやドットインストールなど)

ぼくは、「誰かに教わる」の方で「インド人」の先生から教わりました。

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一緒にプログラミングを学んだヨシと先生とぼく


🔻1年間で勉強した内容🔻

・HTML
・CSS
・jQuery
・PHP
・CakePHP(PHPのフレームワーク)
・Codeigniter
(PHPのフレームワーク)
・Java
・AndroidStudio(アンドロイドアプリ開発)

パッとと見る限り、普通の内容ですね。
インドだからすごい!とかはなく、
むしろ日本のスクールの方が、高レベルの内容かもしれないです。


🔻生活スタイル🔻

9時:英語でプログラミング授業
12時:カレーランチ
13時〜19時:宿題
20時:カレーディナー
〜22時:宿題
24時:就寝

・食事はほぼカレーを食べていました。(120円くらいです)
・ほぼこのルーティンでした。ほぼ遊べませんでした。


🔻インド留学だからこそ得られたプログラミング経験🔻

・38時間、寝台列車でプログラミング
・孤独で死にそうになる(誰とも喋らない日々)
・プログラミングを教える側に回って、覚醒する

そのうちの1つ目だけ軽くご紹介します。
(2つ目、3つ目についてご要望があれば記事にまとめます)

これはwantedlyの記事にも投稿した強烈な経験です。
[インドの寝台列車で38時間、プログラミングしたことある人いる?]

インドの寝台列車で38時間、プログラミングしたことある人いる?


パキスタンの国境にある砂漠の町「ジャイサルメール」へ旅行へいく時の出来事です。

旅行には行きたいが、電車移動時にプログラミングができないなんて
時間がもったいない・・そう思い・・

迷わず寝台列車にPCを持ち込み、
3段ベッドの一番上で永遠とECサイトを作りました。

ちなみにIT大国インド、電車には電源がめちゃくちゃいっぱいあります。

今思えば、1年間の留学後のスキルは、
日本のスクールに通っている生徒さんよりも遥かに低かったと思います。

ただし、スキル以外の成長があったので自信を持って帰国しました。

🔻スキル以外の成長🔻

・強靭な体力、メンタルがついた
・英語が話せるようになった
・孤独の辛さを学んだ
・人にプログラミングを教える楽しさを知った
・本気で留学すると、華やかじゃないことを学んだ


5.  転職活動

僕が (5)

上述していますが、スキルはスクール生以下。
そしてアラサー業界完全未経験おじさん。
本当に転職できるのか不安というか、結構諦めていました。


🔻転職活動にひっさげていった武器🔻

・SIer経験5年という社会経験
・英語スキルそこそこ
・プログラミングスキル(スクール卒業レベルちょい下)
・強靭な体とメンタル



僕が活用したのは「Wantedly」一本です。

とにかく職につかないと、アラサーニートおじさんになってしまうため、
ひたすらにエントリーしまくりました!

ただ、「インド生活1年間」が良かったのでしょうか、
本気度が伝わったおかげで内定は複数いただくことができました。

その中でも特にぼくのパーソナリティを買ってくれた、
自社開発サービスのスタートアップ「ペライチ」に入社することに決めました。

結局転職活動は1ヶ月で終わり、内定をもらってすぐに入社するという形になりました。

言うまでもないかもしれませんが、
お給料は前職に比べてかなり落ちました。
それはもちろん僕が業界未経験のエンジニアでただのお荷物だからです。
僕は「自社開発サービス」に強い思いがあったので、
お給料面は我慢しました!


6.  WEBエンジニア人生のスタート

僕が (6)

入社してからの4ヶ月間は本気できつかったです。
恐らくみなさんも経験したであろう未経験あるあるを先に載せておきます。


🔻未経験あるある🔻

・開発環境構築ができない
・膨大なファイルとソースコードに溺れ死にそうになる
・メンバーとの信頼構築が難しい


まず「開発環境構築」ができません。

「必死にググる→的外れなアプローチ→別のエラーが発生」という
初心者の伝統芸能を披露してしまいました。

次に、まず膨大なファイル・ソースコードに圧倒されて、
溺れ死にそうになりました。もう言うまでもありません。
今度みんなで溺れトークでもしましょう。

最後に、すごくきつかったのが、「信頼関係」の構築です。

未経験なので「出来なくて当たり前」とメンバーに認識いただいていましたが、「組織に入って仕事をする」というのは、出来ないなりにどこかで
「価値」を発揮しないと信頼を得ることはできません。

信頼も実力もない、ただの未経験おじさんがスカした顔で
初心者の伝統芸能を繰り広げていたら、
他のメンバーは触らないようにするのが自然です。

この時期は本当に苦しかったです。
なんで自分はこんなに出来ないやつなんだと落ち込み、
取り返そうと残業をしまくる。そして、それはそれで怒られる。

もう何が正解なのか、わからない状態が続いていました。
進捗報告会議には本当に出たくなくて、おなかが痛くなってしまいました。

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信頼関係が無いぼく

7. サラリーマン時代は無駄じゃなかった!

僕が (7)


半年経過するまで、地道に信頼を獲得していきました。
そんな草根の運動は以下です。

🔻地道な信頼活動内容🔻

・朝早く出勤
・他部署の人とも仲良く話す
・コーヒーメーカーで常においしいコーヒーを入れる
・毎日勉強する(姿をこれでもかと見せる)
・質問の仕方を工夫し、なるべく時間を取らないようにする
・質問しに行くときは、謎の雑談トピックを1つ持って行く
・オススメされた本や記事などは全部読む
・ずっと元気。体調不良にはならない(ような雰囲気を醸し出す)

まるで社会人1年目のサラリーマンのような動きです。
これはもう染み付いていたんでしょうね、呼吸をするようにやってました。

信頼を1番感じたのは、とうとう質問にいかなくてもメンバーの方から、

「調子どうー、相変わらずつまずいてるの😁?」

と話しかけてくれるようになったことです。
そのついでに僕が質問するみたいなことが頻発しました。

気づけば、少しずつ現場の案件もこなせるようになっていき、
認められるようになってきました。


8. 入社してから1年半、僕が輝いたのは?

僕が (8)


入社してから1年半が経過した時には以下ができるようになっていました。

🔻スキルセット🔻

・機能設計
・DB設計
・API設計
・ディレクリマップ作成
・Git
・CakePHP(PHP)
・JavaScript
・Ruby on Rails(Ruby)
・Docker
・アシスタントディレクター業務
・CS対応(エンジニアの問い合わせ系)

が出来るようになってきました。
改めて書き出してみると、感慨深いです。

とはいえ超上流工程の話になったり、
技術的にレベルの高い話になると途端についていけなくなるのは
ご健在で、ずっとニコニコしています。

それじゃ良くないのですが、あれこれ得意かもと思ったのが
チーム開発」でした

大規模開発を経験する中で、
このチーム開発で一番大事なのは、リーダーではなく技術力でもなく、
チーム全体の結束力」だと気付きました。

理由は、結束力のないチームが作ったプロダクトは愛されないからです。
数年後、誰にも使われずに死んでいきます。

そうならないためにも、チームの結束力は必要で、
結束力が強いとお互いに思いやりを持ってプロジェクトを推進できるので、
すごくうまくいきます。

技術力で劣る僕は、毎日行われるプロジェクト毎のMTGで、
頼れるアイスブレイカー」としてチームメンバーのモチベーションを鼓舞しまくりました。

こうすることで長期にわたるプロジェクトも気持ち的に中だるみすることなく、最後まで駆け抜けることができました。

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四半期のMVP賞を受賞した時のぼく


9.  見つけてしまった得意なこと

僕が (9)

きっかけは「外部の勉強会」への参加です。
何回か行ったことがあったのですが、
お世辞にも感動した講師には出会ったことがありませんでした。

これなら自分でも出来るかも?

と思い、社内向けに勉強会の開催をすることにしました。

弊社ではDockerを使って開発環境を構築しているため、
1年半前に涙を流した開発環境構築のリベンジ
もう誰にも同じ思いをしてほしくないと考え、

超特急でDockerの勉強を開始しました。
約2週間の準備期間を経て、社内で勉強会を主催し、無事にDockerでの開発環境を構築する魅力を伝えることができました!


10.  フリーランスエンジニアにはならないの?

僕が (10)


2020年4月になったら正社員になって2年が経過します。
技術的にも人間的にも組織で働くという点においても、
大きく成長できたのではないかなと思います。

みなさん気になっている「お給料」の面ですが、
正直、フリーランスの方が「倍近く」もらっているような気がします。(推測ですが)
 

🤔<「え、じゃあフリーランスにならないんですか?」
「現時点では、考えていません」> 😟

🔻理由🔻

・信頼関係が構築されているから
・なんでも、自由にやらせてもらっているから
・リモート稼働OK、出勤時間フレックス制だから
・副業推奨だから
・ホワイトないい会社(残業はないです)だから

これらの条件で正社員というのは、フリーランスの半分の給料だとしても捨てがたいです。本当にストレスフリーです
(ストレスフリーな状態に2年間で仕上げました)

iOS の画像 (11)


もしフリーランスになるのであれば、
この環境で「技術的な成長が止まった」と感じた時だと思います。


今はまだ成長できる機会がありますし、
新しい技術使いたいと希望すれば、背中を押してくれるような会社です。

なので、フリーランスになることは現時点では考えていません。


11.  まとめ


・人生のレールから外れても、自分で道を切り開ける(大学院受験失敗)

・漠然と描いた夢を実現するには、声に出したり文字にしたりして行動すること(サラリーマンからアラサーでインドIT留学を実現より)

・会社に所属したらまずは信頼構築をしよう(未経験エンジニアからWEBエンジニア正社員により)

・技術以外でも得意なことを見つけよう(社内勉強会主催より)

・お金は大事。ただストレスフリーな会社なら、正社員も悪くないよ(フリーランスにならないんですかより)


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自分の得意技「頼れるアイスブレイク」を引っさげて、
エンジニアになろうと思ってるけど踏み出せない人や、
勉強してるけどなかなかうまくいかない人を応援していきたいです!

特に、もうアラサー、アラフォーだしなーと悩んでいる方を
全力で応援していきたいです!

今後もこんな感じで発信を続けていくので、
もしエンジニアやフリーランスに興味ある方がいれば
是非フォローしてください!
最後まで読んでいただいてありがとうございました!!

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