人並みすぐれた苦心と努力
昔から道歌に、
なせばなりなさねばならぬなにごとも
ならぬといふはなさぬなりけり
とかいうのがある。これは人間的真理だ。
しかし、なさでなりなせどもならぬなにごともなるもならぬも神のみ心
ということが、
まず第一にわかっておらねばならぬ。
これは宇宙的真理だから。
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なにごとでも人並すぐれた者になろうと思えば、
人並すぐれた苦心と努力とをせねばならぬ、ということをしみじみと悟りました。
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どんな人にでも特長はあるものですから、人はあくまで、その特長を発揮しさえすれば、とにかくある意味において、優れた人になることができます。
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まん円い河原の石となるまでには、ずいぶん長い間いろいろな目にあって、砕かれ削られ流され磨かれして来たのであります。
人間もそのとおりで、一人前の者となるまでには、どうしても世の荒波にもまれもまれて来なければなりません。
まあそうですな、どんな偉い人でも三十を越えねば、真の人間にはなれますまい。
三十までは修養時代だと思います。若い間は、とにかく考えが単純で思慮が足りませんから、賢いといわれる人でも、どことはなしに、もの足らぬところ、すなわち、貫目に不足があります。
人間的常識というものは、学問とはまた別なものです。
『信仰覚書』第一巻、人並みすぐれた苦心と努力 出口日出麿著