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13:老人と色

 おじいちゃんがこの世を去ったのは、私が産まれる数日前だった。
 なので、おじいちゃんの顔は写真でしか見たことがない。声は知らない。身長体重その他病歴も存じ上げない。ただ、父から
「豆腐屋を営んでいた」
「梨でワインを造ろうとしていた」
「ワイン造りの為に息子を農大へ進学させたのに、卒業して実家に戻ったら『ワイン造り? 知らん』と言った」
「地元に高速道路が通ると信じていた」
 等の話は聞いていた。

 おじいちゃんの逸話を色々聞いていると、彼は割と先見の明がある人だったんだなあと思わされる。
 特に梨ワインの話。父は「梨でワインは出来なかった」とし、実父の愚痴を連ねていたけれど、現代では梨どころか桃でもマンゴーでもワインを造っている(スパークリングワインが多いけど)。
 もし、おじいちゃんや父が梨ワインを完成させていたら。一攫千金を得ていたかもしれない。ぶどう以外でワインを造った人物第一号になっていたかもしれない。おじいちゃんもそう思って、梨ワインを(思い付きで)提案したのだろう。
 そして、もう一つ「こういう人だったんだろうなあ」と思う事がある。

 恐らく、おじいちゃんは女癖が悪かった。


 信じ難い話だが、おばあちゃんは、おじいちゃん──自分の夫と、夫の愛人の三人で、一つ屋根の下で暮らしていた時期があるらしい。五兄妹全員が就職・進学して実家を出た後のことである。
 初めて聞いた時、私の脳内は疑問符でいっぱいになった。
「え? お父さん何言ってるの??」とも思った(父が教えてくれた話、の筈。あれ? 違ったかな?)。

 自分と夫と情婦との三人暮らし……控えめに言って地獄では。
 え、だって、夫と情婦が隣の部屋でセックスしてたりするわけでしょ? いや、もしかしたら気を遣って駅前のホテルで致してたかもしれないけど。気遣うところそこじゃないし。そもそも何故、愛人を家に連れ込んだ挙げ句に同居しているのか。その経緯が全くもって不明なので疑問が何一つ解決出来ない。おばあちゃんの立場どこ?? なに?? 家政婦???

 気になって気になって仕方がなかった。が、おばあちゃん本人に訊ねるわけにもいかない。

「おばあちゃん、おばあちゃん! 昔おじいちゃんと、おじいちゃんの愛人と三人で生活してたってホント?」

 いくら祖父の顔を知らないからって、そんな残酷過ぎる質問を、ストライクゾーン目掛けて豪速球で撃ち込めるほど剛健な孫じゃなかった。
 あと、その質問をすれば、情報元が自身の息子──父であると即バレる。私は祖母の心も、父の立場も守りたかった。


 でも、やっぱり気になるものは気になる。
 好奇心を抑えきれない孫は、祖父の墓参りの時に然り気なく「おじいちゃんって、おばあちゃんから見てどんな人だったの?」と訊いてみた。如何とでも取れる質問の仕方をしたのは孫なりの気遣いだった。逃げとも言える。
 おばあちゃんは、その場では何も話してくれなかった。
 家に帰っても話してくれなかった。話すどころか、ちょっと機嫌が悪そうだった。

 しまった。おばあちゃんにとって、おじいちゃんの話は地雷か……!

 焦る私(+両親)だったが、夕食時には多少機嫌が戻ったのか、それとも呑ませたアサヒスーパードライで気分が良くなったのか。ぽつりぽつりと語って聴かせてくれた。
 内容の大半は愚痴だった。
 情婦を含めての三人暮らしは真実だった。
 私の父を身籠もる前、おじいちゃんは突然、仕事の一環だと言って家を出て行った。一年ほど帰って来なかった。その間、家事と子育てと豆腐屋を、一人でしていた。子供に店を手伝わせても大変な日々だった。
 おじいちゃんが家に帰り、数ヶ月後、おばあちゃんは私の父を妊娠する。
 おじいちゃんの体調が悪くなったので、総合病院を受診した。検査の結果、B型肝炎を発症していることが判明した。

「出て行ってた一年間、フィリピンに居たって言うさ。あっちでどんなことしてたんだか……」

 淡々と呟きながら淡々とスーパードライを飲み干すおばあちゃん。
 飲んでいた麦茶が急に苦くなった。父も母も、急速に味蕾が敏感になったらしい。おばあちゃんと同じビールを呑みながら苦い顔をしていた。

(続く)

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