12:生の残滓が濃い廃墟

 父の生家を訪れた時、あまりの古さに驚愕した。いや、もっと正確に言えば、「トタン屋根の家」ならぬ「トタン造りの家」って存在するんだと驚いた。


 父の生家──おばあちゃんが二階建ての長屋に引っ越す前の家──は、中国地方北東部の県、T市を流れる一級河川沿いにあった。
 幅が広く、直線的なその川は、昔は酷く曲がりくねっていたらしい。大雨の度に幾度も決壊して人命を奪うので、強制的に真っ直ぐにさせたのだと河川敷に建てられた看板が歴史を教えていた。夏の日差しに煌めく川面が、何だかとても気持ち良かった。ある時間になると海から水が昇り、淡水と海水が混ざり合った水が川を逆流するのが珍しかった。

 おばあちゃんが越してから、その家には誰もまともに足を踏み入れていなかった。庭は背の高い雑草が茂り、以前は白い雑種犬が繋がれていた犬小屋は、すっかり草に埋もれて見えなかった。青色のトタン壁は錆び、所々穴が開いていた。
 二階建ての「トタン造りの家」を見上げて、私は開いた口が塞がらなかった。
 別に、古い家を見たことが無いわけではない。
 三歳になる前、私は都内I市を流れる多摩川沿いの平屋に暮らしていた。その平屋も結構な古さだった。幼い記憶ながら、その古さを憶えている。母曰く、天井からムカデが落ちて背中に入り込んだり、洗濯機の蓋を開けたら巨大ナメクジが張り付いていた事件もあった。新しく作られる橋の足場に平屋の場所が選ばれ、最後は引っ越しを余儀なくされたが、古民家と呼べば聞こえが良い“あの家”での生活は幼少期の大切な思い出だ。

 故に、外観の古さは特段驚くべき点ではなかった。
 問題は素材だった。
 家の壁がトタンだったのだ。
 トタンと言えば、屋根のイメージだった。トタン屋根の家。雨が降ると五月蠅いトタン屋根。平屋から引っ越した先、集合住宅に併設されていた駐輪場の屋根もトタン……壁もトタンだった。工事の現場作業員が事務所代わりにしているのか、仮設で設置される小屋もトタンっぽい。
 兎に角、トタンとは、人家には使われない素材だと思っていた。
 その素材が屋根にも壁にも使われていた。驚愕だった。
 本当にお父さんとおばあちゃんは、此処で暮らしていたのかしらん。
 きっと昔は綺麗だったのだろう。けれど、古くなり、誰も住まなくなってしまった家は、まるでお化けみたいだった。
 そう、いま思うとアレに似ている気がしなくもない。
 錆びた青い猫型ロボットに似てる。


 中はもっと悲惨だった。
 当然電気は止められていた。窓が一枚しかない一階の居間は、昼日中とは思えないほど暗くて、殆ど何も見えなかった。おばあちゃんが残していった家具や家電、ポット、蓄音機、その他よく分からない品々が懐中電灯の灯りに浮かんだ。
 まるで廃墟を探検しているみたいだった。
 いや、正しく私は探検したのだ。

 何故か、中を見るのに制限時間が設けられていた。与えられた時間は約五分。
 おばあちゃん本人から「土足で構わん」と言われ、人生で初めて人様の家に靴のまま上がった。床は木製だった。フローリングとは違う。細長い木の板をはめ込んだ、木の床だ。雨風に晒されて汚れているとはいえ、靴で床を踏む度に、罪悪感が胸を襲った。踏み抜いたかの様な大きい穴を目にしてやっと、土足で家を歩く罪悪感から解放された。
 家にはおばあちゃんの──おばあちゃん達家族の生活の跡が残っていた。視界は暗いのに、酷く暑くて汗が止まらなかった。黴のようなジメジメした臭いもした。床がギシギシと鳴って不気味だった。
 二階へ昇るのは止しなさいと言われた。言ったのは母と、おばあちゃんだ。二階には父達五兄妹の部屋があると聞いていたので是非とも行ってみたかったが、危ないからと止められた。代わりに父が階段を昇った。ものの数秒で帰ってきた。

「階段が腐ってるみたいに脆い」

 なるほど、制限時間が設けられるわけだ。

 あっという間の探検を終えた後、不思議な気持ちになった。
 誰かが住んでいた形跡が色濃く残るのに、錆びた青い猫型ロボット似の「トタン造りの家」は、取り壊されるのを今か今かと待っている。それが変な感じだった。
 恐らく、引っ越された家には家財や生活用品の一切が失われた、がらんどうの空間だけが残ると思っていたから。突如家主だけが居なくなって、殆ど何もかもが取り残された風な光景を目にするとは思っていなかったから。
 異空間に行って、帰ってきた気分になった。感情の一部が消えたような、虚脱感というか、寂寞な思いを抱いた。
 この文章を書きながら記憶を掘り起こしてる今も、筆舌し難い妙な気持ちになる。


 翌年、再び父の生家を訪れた。
 そこには何もなかった。更地だった。
 取り壊されるのは分かっていたのに、やっぱり何処か寂しかった。

(続く)

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