15:旅先で患う病気は平素の倍怖い

 好き嫌い関係なく、食べたくても食べられないものがある。
①うなぎ:昔は大好きだったし、脂っこい料理が苦手になった今でも「ちょっと食べたいなあ」と思う。が、一度喉に骨が引っ掛かってからはトラウマに。
②メロン・キウイフルーツ:食べると喉が痒くなる。痒くて痒くて堪らなくて、酷い時は皮膚の上から両手で掻き毟るほど痒くなる。
『嚥下後に喉が痒くなる=微弱なアレルギー反応』の話を耳にしたことがあるので、アレルギーに関する詳細な血液検査をしたら、「あなたメロンとキウイ食べん方がええで」と言われるかもしれない。
③牡蠣:胃腸炎になった。

 本記事は③の話。

 うなぎと一緒で、昔は牡蠣が好物だった。
 と言っても、牡蠣なら何でも構わん無節操タイプではない。
 例えばスーパーの鮮魚売場で売っている、水に浸かった加熱用の牡蠣は嫌い。生食用の牡蠣も、独特の味がして苦手。鍋に入って火が通りきったのも好きじゃない。冷凍牡蠣は論外。
 そんな安い牡蠣じゃあ、アタイ満足出来ないヨ!

 私が好んで食べたのは、おばあちゃんが暮らす中国地方北東部──日本海で穫れた岩牡蠣だ。

 毎年、おばあちゃんの家で食べる岩牡蠣は、そりゃあもう美味だった。
 掌に収まらない大きな殻の中にぎっしりと詰まった、ぷりっぷりの身。変な苦みも臭みもなく、レモンをちょいと絞って食べるだけで咥内が幸福に満ちる。勿論、レモンは無くても良い。固い殻をハンマーとマイナスドライバーで抉じ開けて、つるりと口に入れるだけで至高。海水の塩味が、これまた良い旨味を引き出してくれるのである。
 おばあちゃんの家でお世話になる頃は岩牡蠣のシーズンからほんの少しずれてしまうけれど、それでも東京では絶対に味わえない美味しすぎる岩牡蠣が愉しめた。
 一年に一度の愉しみでもあった。

 突然の嘔吐と下痢に襲われるまでは。

 あまりにも突然だった。
 朝、腹の痛みで目が覚めた。この時はまだ「風邪菌が腹に来たか?」と思う程度の痛みだった。おばあちゃん家の階段は滅茶苦茶急なので、転げ落ちないよう慎重に降りる。いつもより慎重に慎重を重ねて一階に降り立ち、挨拶もそこそこにトイレに駆け込んだ。案の定、瀉していた。
 腹の痛みは、時間が経つ毎に増していく。
 ぐるぐると回る痛みから、きりきり刺すような痛みにランクアップした。痛みだけなら我慢出来た。なんだか胃の辺りに奇妙な圧迫感を感じる。おえ、気持ち悪い。
 吐いた。
 まずい……本当に風邪だろうか。
 その時は本気で風邪を疑った。なんせ当時、おばあちゃんの家にクーラーはあったが、私の家には無かった。故に、真夏の夜にひんやり冷たい風で涼をとりながら眠る習慣がなかった。

 もしかして、クーラーの風で体が冷え過ぎたのか?
 そういえば起きた時、ちゃんとタオルケット掛けてたっけ??

 上から下からピーピーゲーゲーしながら頭を抱える。風邪だったら如何しよう。

 自慢じゃないが、私は車酔いで体調を崩し嘔吐した経験は数え切れない程あっても、旅先で体調を崩したことがない。
 家族旅行、友人との旅行、スキー教室、臨海学校、修学旅行、部活の合宿、エトセトラ。ただの一度も体調を崩さなかった。寧ろ、体調を崩して胃薬や頭痛薬などの世話になる友人を、横で気遣う方だった。

 なので、いざ己が旅先で体調を崩した時、如何すれば良いのか分からなくなった。
 両親に助けを求めたかった。が、此処は自宅ではなく、おばあちゃんの家。いくら親戚といえど、余所様の家で体の不調を訴えても良いものなのか(既にピーピーゲーゲーやってる時点でアウト)。
 第一、助けを求めて何になる。両親にも、おばあちゃんにも迷惑が掛かるだけなのでは。今日も何処かの観光名所に行く予定だった……それを腹痛と吐き気で台無しにして良いのか。否、ダメだ。

 よし、我慢しよう。

 幸い、ある程度出すものを出してしまえば、幾らか楽になった。全快にはほど遠いが耐えられないことは無い。
 私は起き抜けからの体調不良を「クーラーでお腹冷えちゃったかも(´・ω・`)」で誤魔化した。

 これが失敗だった。

「暑さで疲れとるけえ、あんたらで行ってきんさい」とおばあちゃんに言われ、観光へは私達家族だけで行った。
 移動中の車内は良かった。相変わらず腹はきりきり、胃は見えない手で捏ねられてんのかってぐらい圧迫感が凄まじかったけれど、深呼吸を繰り返して窓の外に集中すれば誤魔化せた。因みにこの時、両親とどんな会話をしていたか、快復直後に振り返っても憶えていなかった。たぶん「あ〜そうだね〜」とか、「確かにね〜」とか、お座なりが過ぎる受け答えをしていたのだと思う。
 ピンチは現地到着後に訪れた。
 往なしていた症状が、大きな波で襲ってきたのだ。
 これまた幸いにも、出すものを出した後は何も口にしていなかったので、出てくるものが無かった。水分さえ摂取しないことの危険性は重々承知していたが、飲めば秒でマーライオンになれる自信があったので、飲む振りをして実際は一滴も飲んでいなかった。
 何も出ない代わりに、痛みと苦しみが腹部と胃でぐるぐると回る。それでも私は耐えた。せめて昼食までには何とか治まってくれと願いながら耐え続けた。
 しかし、そうは問屋が卸さない。

「よし、あそこ登ってみるか」

 にこやかに父が指さした先に、山があった。
 なんでも其処は、修行僧の修行場らしい。本当の修行場に観光客は入れないけれど、その手前の、観光客用に整地した所までなら行けるのだとか。
 
 待ってくれ。
 本当の本気で、まじで待って欲しかった。

 登る気満々の両親に着いて歩きながら、私は私自身に問い掛ける──山、登れる? いける? 山の険しさとか全然分かんないけどいけるか?
 ……いや、ちょっとヤバいかも。痛さと気持ち悪さが、体の中でのた打ち回ってる。というか、山に入る料金所までの、いま歩いてる坂道の時点でキツい……。
 まじか。ダメじゃん。この坂道、傾斜角何度? 四十五度ある? 三十度ぐらい? これでキツいとか山無理じゃね? 今からでも良いからお母さんに言おうよ〜、お腹の痛みと吐き気がハンパないって言おうよ〜〜。
 言いたいけど、めっちゃ愉しそうじゃん。めっちゃワクワクしてるじゃん。今更言えないって。言ったら逆に「何で朝言わないのよ、もお〜!」ってなるよ……いい、大丈夫言わなくて。それより山だよ、山。んあ〜キツいよぉ〜〜でも、登れるかどうかは、実際の角度を見てから決める。行けそうなら行く。
 ……そうね、実際ちょっと、入り口から見て決めよう。でも、見て「こりゃアカン」って少しでも思ったら止めよう。何とか理由付けて待ってよう。ね? 登山料払って、途中で動けなくなったら一大事だから。ね? 思い出して、鳥取砂丘で味わった苦しみを!
 そうね、登山料も無駄になるしね、うん……。

 そして辿り着いた料金所。
 入り口から、ちらりと先を覗き見る。
 傾斜角四十五度を越える、壁みたいな階段が天まで伸びていた(ように見えた)。

「こりゃアカン」

 流石、修行場やな……とか言ってる場合じゃなかった。
 無理。絶対無理。この、前門にも後門にも怒れる龍を飼ってる状態(?)で、何段あるか分からん険し過ぎる階段を登れるとは到底思えない。入ったら最後、帰って来れないよ。絶対戻れないよ。戻れてもお父さんお母さんに多大な迷惑かけるよ。鳥取砂丘の惨事再びだヨ! あの時はお父さん、おばあちゃんと涼しい喫茶店でくつろいでたけどナ!

 入山アカンの赤信号が点った私は、券を買おうと料金所に向かう両親を必死に引き留め、入り口で待ってる事を伝えた。
 突然そんな事を言う我が子に、両親は当然、怪訝な顔をした。何で一緒に山に登らないの? もしかして具合が悪い? そういえば、夜のクーラーでお腹冷えたとか言ってたな。まさか風邪? 酷くなった?
 予定変更で帰ろうとする雰囲気を察して、私は焦った。自分のことは大丈夫。気にしないで。登るのに自信がないだけなの。ほら、東京からの距離的にさ、また来られるか分かんないんだから! 二人だけでも愉しんで来て!! ね!!!
 必死の説得に、両親は首を縦に振ってくれた。心配そうに振り返る母を見送って(父は全く振り返らなかった)、入り口傍に備え付けられた木製のベンチに腰を下ろす。

 孤独な修行の始まりだった。

 その時の事は、よく憶えていない。
 取り敢えず必死だった。
 両親が戻ってくるまでの時間が、一時間にも三時間にも、六時間にも感じられた。ひたすらに長かった。
 やがて腹部の痛みが、大腸と小腸を雑巾の如く捻り絞ってんじゃねえのってぐらい激しいものに変わった。経験したことの無い痛みだった。暑さとは違う意味での汗が、額から垂れ、ゆっくりと頬を伝い、顎から落ちた。「これが脂汗ってやつなのかな」と、朦朧とする意識の中で思った。
 痛くて苦しいだけで、何も出てこなかった。それが逆に苦痛を強めた。
 ベンチに横たわりたい気持ちでいっぱいになった。が、横たわったら最後、体を起こせる気がしなかった。何より、他の観光客に心配されて救急車でも呼ばれたら大変だ。只でさえ料金所のスタッフが訝しげな目線を送ってくるのに、目立つ真似はしたくなかった。


 数時間後(実際には一時間かそこら……下手したら一時間に満たなかったかも)、両親が興奮気味に戻ってきた。
 修行僧しか足を踏み入れられない危険な修行場に、甚く感激したらしく、駐車場までの道を歩きながら感想を聞かせてくれた。笑顔の両親に「愉しそうで良かったな、嬉しいな」と思った。私も、自然と笑みが浮かんだ(ちゃんと笑えてたかは不明)。

 けれど、我慢が出来たのも此処までだった。
 限界だった。車内に戻った瞬間、不調の全てを訴えた。尋常じゃない事態が体内で起こっているのは明白だった。予想通り「何で朝言わないのよ、もお〜!」と呆れられた。
 急いでおばあちゃんの家に戻り、おばあちゃんが掛かり付けにしているクリニックに駆け込んだ。旅先で医者の世話になるのは初めてだった。今まで旅先で体調を崩したこと無いのに……申し訳なさでいっぱいだった。が、我慢の限界を突破したのも確かだ。

 白髪の優しそうな男性医師の質問に、一つ一つ答えていく。
 今の状態を訊かれ、今朝のことを訊かれ、前日の夜に何を食べたか訊かれ、東京を発つ前に不調があったか如何かを訊かれた。
③牡蠣:胃腸炎になった。の時点でお察しだと思うが、前日の夕飯には岩牡蠣が出た。私の好物である、日本海で穫れた大きくてぷりっぷりの岩牡蠣だ。殻の縁で唇を傷付けないようにしながら、つるりと食べた。美味しかった。
 男性医師は言った。
「フーム……熱も無いし、胃腸炎だろうねェ」
「胃腸炎、ですか。あの、岩牡蠣にあたったんでしょうか。一応、殻の外側とかも洗ってたんですけど」
 余談だが、「謎の蟲とか付いてたら怖い」と怯える母の指示で、殻を割る前に徹底して外側をタワシで擦り洗いしていた。父が。
「牡蠣ならね、あるかもしれんね。元気でも知らんうちに、落ちてるもんだから、体力ってのはァ」
「はあ……(大丈夫かこの医者……ヤブ、じゃないよね? 田舎の医者ってこんな感じなの??)」
「マァ、薬出しとくから。ちゃんと食べて、ちゃんと飲むように」

 指示通り、ちゃんと食べて、ちゃんと飲んだ。クリニックからおばあちゃんの家に帰る頃には、前門と後門の龍はだいぶ怒りを納めていて、きちんと食事をとることが出来た。

 翌日、私の体調はすっかり快復した。


 そんなこんなで私は、牡蠣を食べたくても食べられなくなってしまったのである。たまーに「挑戦してみようかな」と思う。が、あの時の苦痛に堪え忍ぶ修行を思い出すと、食べる勇気が出ない。

 おばあちゃんは、一連の出来事に全く動じた様子がなかった。
 朝から孫がトイレに駆け込んでも、体調が悪そうでも、我関せずで朝ドラを観ていた。息子から「娘の具合が悪いから近くのクリニックを紹介してくれ!」と言われても淡々としていた。孫が胃腸炎になった、岩牡蠣が原因かもしれんと報告されても、「はあ、そうかい」の一言のみだった。

 おばあちゃん、孫のこと心配じゃないんか……?

 と、仄暗い気持ちになった。けれど、この頃には彼女の人間性──というより『イメージする一般的な祖母像とは違う人=おばあちゃん』と認識していたので、「まあ、この程度の反応だよな」と考えを改めた。
 殺意を抱いた鳥取砂丘での出来事から、ちょっと成長した孫なのであった。

(続く)

ここまで読んでもらえて嬉しいです。ありがとうございます。 頂いたサポートはnoteでの活動と書籍代に使わせて頂きます。購入した書籍の感想文はnote内で公開致します。