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【ライカ】Leica Q は私のハレの瞬間を写すカメラ【レビュー】

Leica Qは普段使いのカメラなのか。今更な質問だけれども、このエントリーを書くにあたって改めて自分に問いかけてみた。正直に言うと答えはノーだ。自分にとってQは明らかにハレの瞬間を写すためのカメラだった。

世の中の多くの記事はQを日常を写し出すカメラとして推そうとしているように感じる。確かに理想的にはそれは正しいアプローチだろう。しかし一方で、Qの筐体のサイズ感、Mほどではないがずっしりと感じる重みは常に携えておくには少しばかり大き過ぎる存在だ(特にGRのような他のスナップカメラと比べると)。あと、言ってはなんだが、友人と食事に行くような場にQを携えていると、酔った拍子にうっかり落下させたり置き忘れをしたりするのではないかと気が気でないことがある。

つまるところ自分にとってQは「写真を撮ろう」と意識して持ち運ぶカメラなのだと感じていて、逆に撮り手にQならではの視点を与えずにはいられないのがこのカメラであると言ったら言い過ぎだろうか。あの場所にこのカメラを持って行ったらどんな景色が撮れるだろうかと妄想させてくれるカメラなのだと思っている。

なぜこのカメラにQならではの視点を感じるのか。その理由を探ってみると、どうしても目を向けるべきはQに搭載されているレンズ、このレンズが写し出す描写にあるのではないか。

野暮を承知でこのSummiluxレンズの特徴を言語化すると、ピント面の繊細な線、光のグラデーションを捉えたときのハイライトの抜け感、アウトフォーカスするに従って自然に、しかし美しく立ち上がるボケ感、にあるのではないかと思っている。これは他に使っているSummilux 50mm ASPHにも共通した点として考えた。

言い換えれば、現代のレンズとして求められる解像感はしっかり押さえておきつつ、エッセンスとしてオールドレンズのような雰囲気作りを持ち合わせている、そのことがこのカメラを特別な場所に持ち出したいと思わせる所以なのではないか。その景色とこのレンズとが(変な言い方だが)化学反応を起こしたときにどんな絵が紡ぎ出されるのだろうかという期待感を抱かせられている。

ある知り合いはQのことを(カメラではなく)フルサイズセンサーが付いたSummiluxレンズと表現していたが言い得て妙だ。Q2、Q3のように焦点距離の長いデジタルクロップはできないが、このレンズ全体を愉しむ、という観点で言えばクロップせずともその価値はあるのだろう。

光を物理的に屈折させて結像させるレンズは究極のアナログ機器だ。スマホが普及し世の中のほとんどのデバイスがデジタル化されている現代において、工芸品のように設計者の意図を手のひらで感じられる道具は珍しくなってきている。カメラもまたデジタル化の潮流を避けることはできず、高性能化・高機能化は進む一方ではあるが、その「眼」たるレンズには(銘の有無に関わらず)アナログや人間の息遣いが残っている。変わった感覚なのかもしれないが、このカメラに新しい景色を見せるために旅に出たい、あらためてそんなことを思わされた。

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