コンモリvsコンマリ


 
自分の精神的なイベントの一つで年に数回。
 
あの日が来る。
 
なかなか強烈なやつである。
 
数日間は悩まされ、終わりの見えない自己対話が始まる。
思想対思想、イデオロギーの対立だ。
 
それは、いきなりやってくる。
「もうここの部屋に或るすべての物を断捨離し直す!!」
{回る椅子がくるっと回転して僕のサングラスが光る、もちろん手を組んでいる}
カルダモン補完計画
 
いわゆるコンマリ現象が出てくることなのだ。
 
はたして、ミニマリストとは? 物とは?
という切り口にもなってくる。
哲学的でも有るのだが、これは少々やっかいだ。
 
そして他者の思想信念主義主張を批判しているのではなく、あくまで自分自身のあり方を
考え直す機会として年に数回訪れる悩ましいイベントということを注釈しておきたい。
 
蛇足だが、肉を食べない方が健康的だから的なヴィーガンは、正直よくわからない自分もいる。
 
まぁ話を戻し
そんな予定は今ないのに
”いつでもひっこせるように”
”もし家をなくしたら”などとよくわからん
即動けるように、したくなることがある。
それが先ほどのコンマリ現象なのである。
 
部屋を見渡せば、コンモリと積まれたレゴや服や本がある。
自分が選択して吟味して買ったもの達ばかりだ。
大好きでどれもお気に入り
それを遊戯王で言うとブラックホールをして、より厳選した物だけを置きたくなるのだ。
 
これには困った弊害も或る。
この熱に浮かされサーフィンのように波に乗ってしまうと、やりすぎてしまうのである。
これで以前も言ったように、価値はないが自分にとって価値があるものを売ってしまい
数年後にまた買い直すのだ。
これをあしたのジョー現象とも言う。
 
昔エセミニマリストと名乗った痛い時期が合ったが!今ここに高らかに宣言したい。
 
物が大好きだと。あれは虚構だったと。
 
売れば価値があるとか、プレミアがとか
わかるよ!わかるし、じぶんもそのスケベこころが出る時もあるのだが、
何か違う。
 
だって好きなもの買うとき、手放すことを考える?
これがいつか価値が上がってプレミアで転売で~
そんなのもあるかもしれないけど雑誌とかで、服とかで考えてる?
 
そっちの方が俺は貧しいなと思ってしまうのだ。{もちろん高価な物は別で}
LPも服も時計もこれはいつか高く売れるぞ?が第1感情で買うのであれば
バイヤーやればいいわけで、本当に好きなのか疑問になるときがあるよコンマリ。
 
いい曲だ。ジャケット格好いいな。
この服やばいな。この時計いいな。
この本好きだな。
この感情がたまらなく好きなんだよコンモリ。
 
僕の僕との対話は今日もまた続いている。

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