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時代の匂い

時代の空気感というものが、多分あるんだろうと思う。

空気感って何スカ?と言われると、よくわかんないんだけど、一つ言えるのは“匂い”が重要だと言うこと。

他人の家に入った時に、まず気づくのは、部屋の模様やレイアウトではなく“匂い”だと思う。

玄関のドアを開けた時点で空気中にそよいでいる極小の匂いの粒が「お前の居場所ではないんだぞ」と鼻の粘膜に突撃してこられるような経験がある。

なわばりとかを意識していた太古の昔からの人間の本能かどうかはわからないけども、視覚的な情報よりも“匂い”の方が、場所や時間が持つ風景を確かに記憶に保存させてくれる時がある。

この体験をそのまま、自分が生きてきた時代にスライドさせて考えてみる。

人生、数十年も生きていれば、様々な“時代の匂い=空気感”にさらされることになる。

“あの頃の空気感は…”と語れるのは、当たり前ですけど“あの頃が終わった後”だ。

ただ、その空気の変わり目はなくグラデーションのように“地続き”なので、多くの人が気づきにくい。液体と液体が徐々に混ざり合っていくように、“匂い”もしだいに変わっていく。

なので、ふと振り返ってみて、「あぁ、あの頃ってこんな空気感だったんだなぁ」ってわかる。

他人の家の匂いには敏感なのに、自分が今生きている時代の匂いには鈍感になってしまう。ボーッと生きてるからかしら。

便利なものは便利じゃない

今や、10年前でさえ大昔のように語れることがあるけど、今改めて振り返ってみると、ホントここ数年でも世の中が変わったんだなぁ、って実感する。

文明の利器の恩恵を被るのは、多くの一般庶民だ。

スマートフォンが世に出て、色々と便利になったけど、「いや〜、スマホが出来てありがたいわ〜。助かった〜!」って感謝してる人とか「ネット注文できて命拾いしたわ…ホント、お陰さんで生きてられます」とか言う人いる?

大抵、すぐに“当たり前”になって、便利を貪るようになってるのでは?と思う。

「なんだよここ、wi-fiもつながんねーのかよ」

「通信速度おせー。使えねー」

「動画見放題とかいって、見たいやつ全然ないんだけど」

頼んでもいないのに、“押し付けられる便利”がどんどん増えているような気がするけど、いや、ホント便利になりましたよ?スマホとかインターネットとか、作った人ホントスゲーな!って思うし、感銘を受けます。ありがとうございます。感謝してます(誰に感謝すればいいんだろう)

ただ、世の中あんまり便利になり過ぎると、ちょっとの不便が許せなくなってしまうし、人間って(自分含め)バカだなって思うことが多いのですよ。

それって、便利だけど、“便利じゃない”ってことなのでは、と思うのです。

変わらないもの

世の中、良いか悪いかどんどん変わっていくけど、変わらないものが多分ある。

養老孟司さんは“情報は変わらない”っていってたけど、人間が主体として考えると(それこそ時代の空気感によって)情報の“受け捉え方”は変わってしまうんじゃないかなと思う。

楠木建さんの書籍(ホントおすすめです)で書かれていたけど(文脈を考慮せず言わせていただければ)人間や社会をベースに物事を考えると、“いつの時代も人間の本性は変わない”とあった。

なんだかとっても説得力があった。

ベンチャーだ、グローバルだ、ICTだとか、副業だとか、ネットビジネスだとか、新しい波の到来に、“箱舟”に乗るように飛びつける人たちが、ちょっぴり羨ましい。スゲーなぁって思うこともある。

よし、今は“そういう時代なんだ、俺も!”なーんて思ったりするけど、時代の匂いを先読み(先嗅ぎか?)してみると、数年後には「あぁ、あの頃はそういう空気感だったよねー(笑)“みんな副業で月数万稼げます”とか流行ったよね〜(笑)」とかいう振り返り方を想像すると、いやいやちょっと待てよ、となる。

ただ、今はそういう時代の空気感なんだな、っていうことは、なんとなく感じている。

どーせ人間の本性は変わらないと思いながら、変化していく匂いに敏感になることを忘れないようにしたいものです。






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