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限界メシが限界でなくなるまで

これはあらBさん主催のじゆうちょうアドベントカレンダーの為に書いたものです。

12月9日を担当させていただきます。みなみんと申します。
師走、クリスマスケーキに迸る熱意を注ぐものとしてウキウキしてしまいます。いつか参加してみたいと思っていたアドベントカレンダーへの機会をいただけて感謝です。
テーマが「2022年のマイニュース・マイブーム・マイレボリューション(どれでもOK)」ということで、2022年を振り返りあまり好きではなかった自炊をまぁ嫌いではないという所まで来たという過程を書いていきたいと思います。

#みなみん限界メシ  とは


Twitterにて #みなみん限界メシ というタグをつけて日々の自炊を投稿しています。

料理があまり好きではない。しかし生きる為に仕方なくやっている。

出来れば料理に対してポジティブな感情を抱きたいがどうすればいいのかわからない。日々の生活は忙しく、働き眠るで精一杯になりがちだが食べる事を疎かにしては先々強く生きてはいけぬ。あまり好きではないけど日々自分で作り食べていく、そんな気持ちで始めたのが #みなみん限界メシ のタグである。基本的にはお1人ご飯にこのタグは使用される。
#みなみん限界メシ 2021ベストアワード

投稿はリプチェーンで繋がっているのだが、タグなしのものまで遡ると2019年11月から投稿は始まっていたようだ。

初期の投稿を見ると、野菜があまり好きではない私の食卓は白と茶色にまみれ、なんとかネギと海苔とケチャップで彩りの体裁を保っていた。丼だけな日もあれば、すぐ冷凍うどんに手を出すし、焼きそばは具がない。

あとなんせ食べ合わせがわけわからん日が多い。あんかけ豆腐の横に生ハムを添えるんじゃあないよ。

2019年~2020年はこんな有様で、日々なんとか調理するのに精一杯だった。例を見るだけならちゃんと調理しているじゃないか、と思われるかもしれない。私にとって自炊の工数・手数はあまり重要でないようで問題はもっと他所にあった。

料理は続けた方がいいらしい


自炊は筋トレと同じである。"自炊筋"は使い続けなければ衰えるので日々鍛えるのが大切なのだ。一度もういいやとサボってしまうと”自炊筋”は衰える。これは限界メシを続けていくなかで初期に至った思想の一つである。自炊は続けなければならぬ。
毎日の料理を作るべく、手始めに作り置き時短料理に挑戦してみたがこれがどうも上手くいかなかった。作り置きに関しては何日か同じ献立を食べるのがすぐに嫌になってしまった。料理する日数は減るが後々の楽しみがない。食い意地だけは一丁前すぎて一食一食にかける期待値がデカめな性分が邪魔をしている。難儀である。その時その日食べたいものを作るというのが私にとってはどうやら大切なようだ。時短料理ではよくある"レンジだけで作る料理"というものがあまり好きではなく(レンジ操作の技量が足りず加熱加減が一つのギャンブル)、料理を始めてさえしまえば早かろうが遅かろうがレンジだろうが鍋だろうがあまり問題ではないと感じたのだ。そう、問題は台所に立つまでの所にあったのだ。

引き出しを増やしてみる


その時その日食べたいものを作るというが、これもまた難しく、毎日の献立を考えるというのは料理へのハードルの一つであった。
自分の腹の気分に丁度良い料理やセットリストを考えるには引き出しが少なかったのだ。Twitterで流れてくる所謂"バズレシピ"は味付けの濃いものが多く、一目見て「食べたい!!」と思わせる魅力はあるものの、食べ続けるには向いていないようですぐに惹かれなくなってしまった。どうやら私の舌は年齢を重ねると共に毎日味付けの濃いものを食べることに耐えられなくなっていたらしい。難儀な。
初期にお世話になっていたクックパッド先生は、莫大で選り取り見取りのレシピを提供してくれる一方で、本当に美味しいや口に合うレシピに出会うのが難しいという難点がある。この頃はまだ信頼できるレシピサイトに出会っておらず、「豚バラ 大根 卵 レシピ」検索、のように手当たり次第に検索していたように思う。そうしてよくわからないものが出来上がる。
己の引き出しを増やすべくいかがしたものか悩んでいた私を救ってくれたものがある。レシピ本だ。ファッション雑誌を見ていたら着たい服や欲しいグッズが見つかるように、レシピ本をぺらぺらめくっているとその日の気分に合致するものや、今度作ってみたいと思えるものに出会えるのであった。
そのなかでも一番重宝していたレシピ本は"続・体脂肪計タニタの社員食堂"である。

特別減量意識があったわけではないが、タニタのレシピは味付けの傾向が毎日食べる料理として優秀だった。タニタのレシピ本は4~5種類出ているのだが、その中でも上記書籍が優秀な点は季節ごとのメニューが載っている点だ。旬の食材を使って料理を提案してくれる点がとても嬉しかった。何が食べたいかわからないときにレシピ本をぺらぺらめくることは料理モチベを上げる手がかりの一つとなったのだ。

宗教に頼る

ヤバい話ではないので安心して読み進めて欲しい。
引き出しを増やし献立を立てやすくなったものの、料理への根本的な苦手意識は残っておりモチベーションの管理はイマイチであった。どうすればよいか、なんか魔法かなんかである日突然料理好きにならないものか。もうこれは料理が苦手という思想をどうにか洗脳するしかない。料理に必要なのはスキルよりなにより思想だ。

よし、土井善晴に入信しよう。

そして私は名著「一汁一菜でよいという提案」を一読し、脳内にイマジナリー土井善晴を住まわせることに成功した。料理へのハードルをガンガンに下げてくれたし、お米を炊いておみおつけを準備するだけでイマジナリー土井善晴が褒めてくれる。餃子の王将とたい焼きとケーキへの思想は強いが料理への思想は空っぽ状態だったのですぐに入信できた。ありがたや。

自炊の喜び

タニタと土井善晴パワーで自炊の土台を築いた私はその後も限界な気持ちでいっぱいになりながらも、自炊が少しでも楽しくなるように邁進した。それは調味料を少し高いものを使うことだったり、新米や旬の食材を存分に楽しむことであったり、理想の味噌を見つけることだったり、そうしているうちに嫌いだった野菜が少しずつ食べれるものが増えていることだったり。
小さな自炊の変化の積み重ねの結果、私は自分の満足する料理が作れる頻度がかなり高くなった。我が家の周辺の外食のラインナップがショボいことを差し引いても、仕事帰りの夕食として一人で外食するくらいなら自分で好きなもの作った方が良いと思えるまでになった。料理を”作れる”ことと”美味しく作れる”というのは大きな隔たりがあると常々思っていたが、元から上手でなくても日々の積み重ねの上に自分の満足する料理を作れるはあるものだったようだ。


それでもやはり一日働いた後の料理というのは億劫なものには違いなく、なんとかあっぷあっぷで好きな献立や食材で機嫌を取りながら日々飯を炊いているという気持ちがあり、それが #みなみん限界メシ なのだが出来上がっている物が限界ではなくなってきたので来年には新しいネーミングが必要かもしれない。



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