見出し画像

バトルでしか見えなかった世界(SMOKING DOWN後日談)

熱い夜を終えて

という訳で、1/26(木)のSMOKING DOWNに来てくださった皆様、ありがとうございました。そして共に戦ったプレイヤーの皆様、裏で色々と頑張ってくださっていた運営の方々、お疲れ様でした。

序文は短めに、イベントの感想や世論を見て個人的に思うことなどを、僕の気持ちや考えの整理がてら記していきます。

出場前夜(?)の文章はこちら


バトルにはバトル、お店にはお店のシーシャ

ワースト1の敗北を見て思うこと

思ったよりもイキった煽りをした結果、見事に1番ロースコアでの敗北を喫しました。

勝敗の要因は審査員のみぞ知るところで、それを一言でまとめるのであれば、「現場での対応力」に尽きたかなと思います。(当日吸っていただいた方、「そうだね!!」って共感してくれるといいな)
それは、会場そのものであったり、人が集まる中でのホスピタリティであったり、自分自身の魅せ方であったり。ポイントはあげればキリがありません。

でもそれって、お店でも当たり前に同じことで。自分が働く店舗であったり、あるいはお家とかだったりでも、形は違えどそのポイント全てが繋がって、シーシャを吸うことが出来上がります。
今回「クラブでシーシャバトルをする」という店舗とは大きく異なる環境下で行うことで、振り返った時に細かくその事象を考え直すきっかけができたので、敗北以上に得るものが大きかったイベントであったと、個人的には受け止めています。

そういう意味で言うと、ザブさん VS KENさんのバトルはすごかった。あの風格こそ、まさにバトル。

パンチ力と安定感のバランス

あまりシーシャに難しいこと持ち込みたくないのでこういった記述はほどほどにしておきますが、バトルにおけるシーシャそのものに求められたのは、お店などで吸うよりも少しパンチに寄りつつ安定感のあるシーシャになっていくのかなと。

というのも、審査が行われるのは完成後すぐに何度か吸った印象で、加えてその後他に吸っていただく時間も1時間程度。
「それじゃシーシャの美味しいところ・面白いところが楽しめてないじゃん」ではなくて、これがシーシャバトルにおけるシーシャの楽しみ方だったと思います。
そういう意味では、シーシャの自由度の一つを表現されていたイベントだったのではないでしょうか。

あとこれは完全に余談ですが、このイベントを経た後に読むワンダンスめっちゃ沁みる。コンテストとバトルの違いがふっと入ってくる。(ふらっと来られる方は置いてるのでぜひ。)

許容幅はある方が人生生きやすい、シーシャも然り

勝負を終えて改めて、僕は本や漫画読んだり作業をしたりするお供や、ボケーっと何も考えず、吸い方とかも考えずダラダラ吸うシーシャが一番好きだなーと再認識しました。
でも、これはどの文化にも言えることかもしれませんが、シーシャという文化の大枠の中にも様々な楽しみ方があります。それによって価値観は違えど、同じ文化を愛する者同士なら、お互いを許容できたら、それが長い目で見た時に同じ価値観を共有できる人が増えて、より今好きな文化とより長く楽しく付き合っていけるのではないか、とSMOKING DOWNを通じて感じています。(でもそう言うと、許容をしないという価値観を許容してないことになって矛盾が生じてああああぁぁぁぁ

これって極論人生とか人間関係も同じで、自分の世界に頑なにこもっているよりも、一度その殻を破って外で色々なものに触れてみると、自分が思いの外受け入れられたり、自分では気がつけなかったことに気づけたり、それが巡り巡って自分の世界に戻っても少し生きやすくなるのかな、と。
まぁ言うは易く行うは難しなんですけどね。わかるよ、すごくわかるよ。俺は自分の殻から出るの怖いもん。根っこがあまりにも陰キャだもん。煽り動画はそういう殻だっただけです。

少し話は脱線しましたが、勇気を持って一歩踏み出してみたらそのおかげで少しだけ色んなものが楽しくなって自分の好きなシーシャももっと好きになれたよ、めでたしめでたし、という自分の中での結論でした。
シーシャバトル、案外楽しいっすよ。

文章ではどうしても事象と概要だけをかいつまんで書きがちなので、もっと詳しいお話はどこかでシーシャを吸いながら。それがふらっとだったらちょっと嬉しい。その日をお待ちしております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?