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ボランティア運営の限界

なんだかんだで育成年代のコーチやるようになって1年が経過しました。
そしてなんだかんだで試合の帯同もしています。
なんとなくは聞いていたものの、現場で見て感じる事で改めてこの国のスポーツの在り方について考えてしまいました。

とある学年のリーグ戦。
本部があると言われてもどこだかわからないし、結構ざっくりな流れで試合ごとというか担当する審判で言うことコロコロ変わったりと草リーグだとこんなもんかと受け止めていたら公式戦とのこと。
ちゃんとしてよぉと泣きを入れたいところですが、自分自身も試合に向けての準備で余裕がなく審判に迷惑かけたりなのであまり強く言えません・・・
そんな審判さんも各チームから審判出し合っての対応です。
勝手がわかってる人もいれば、その日初審判なんて人もいてカオスです。
今のところ審判やれとは言われてないので大変だなで済んでいます。
もし審判もやってくれ言われたら進退考えます(笑)

大会運営やって日当出るかどうかは運営団体次第でしょうが、恐らくは苦労の割には雀の涙なのは間違いない。
出来る限り安く済まそうとする団体なら弁当代すらなく完全な無償労働になってる可能性が高い。

たまに集まってタダ酒飲めればいいやぐらいの生活に余裕がある人ならいいんでしょうが。

果たしてこのままでいいんでしょうか。

善意というか半強制というか、大会参加において人身御供を捧げよというやり方はそろそろやめた方がいいと思うんですよね。
そうじゃないとロハで人使えないじゃん!
その考えをやめようってことです。

持ちつ持たれつという感覚がなくなってる中、負担している人はその見返りを得られるようにしなきゃ近い将来試合なんて出来なくなる。
下準備や当日の準備、後片付けする人いなきゃ出来る訳ない。
大会運営ロハ、帯同してるチームもロハ、じゃきつい。
きついだけじゃなく、予定されている事業をこなすのが精一杯でよりよい環境作りをやろうとする気力や労力が出てこないのではないでしょうか。

この主張何度目だよ!って人。
過去の記事も読んでいただきありがとうございます(笑)
もしかしたら変わるきっかけになるかもしれないので、今後も定期的に主張していきます。

裏方で人知らず動いている人達が幸せな気持ちになれる日を。

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