木彫りの猫製作プロジェクト③-3(研究・ネコとトウゾク)

>>(↑当該シリーズの初回記事はこちら)

>>(↑1つ前の記事はこちら)

1.猫を構成する何か

ようやくメインっぽい話です。
今回は、猫について調べていきます。

そもそも猫は人間にとってどういう存在なのか、ということですね。

人間に飼育される猫の多くは愛玩動物(家畜の一種)であり、猫の日本における飼育頭数は犬を凌ぐ964万頭にのぼり、海外はもっと人口に対する猫の飼育割合が多いそうです。(*1)

何の変哲もない、自然界においてさして珍しくもないようなただの毛玉が、そんなに人間に好かれる状況がそもそも異常なんですよ。

ただ、猫も急に飼われるようになった訳ではなくて、古今より連綿と続いてきた歴史を経てこのような社会が形成されているので、その中で普段暮らしている身からすると、猫は身近な生き物だなと普通に思いますけどね。

だからまずは、猫を可愛がるような文化が、昔からミルフィーユのように積み重なって今の社会を形成しているということを前提に話を進めていきます。
ちなみにわたしはミルフィーユが好きです。

つまり、社会が文化を作るのではなく、文化が社会をつくるのです。

と、いうのは文化心理学的な文化の解釈です。
わかりやすくて好きです。

難しく言うと、

文化とは、歴史的に蓄積した他者との相互作用と慣習を通じて体系化される意味構造の総体である。

と、いう事です。(*2)

ちょびっと脱線しましたが……

要するに、猫に対する好意も価値観も、それを表す言葉も、人間と猫の関係性の歴史的の延長線上なのですから、今に至るまでのそれをふまえて、現代の社会で猫が必要とされるわけを、言い換えれば猫の存在意義を、もっと言えば人間にとっての猫の本質を明らかにした上で木彫りの猫ちゃんを作ろうという訳ですよ。

それもこのプロジェクトの研究の目的のうちの一つであります。

彫刻というのはものごとの本質を形にする行為のひとつでありますからね。
(彫刻やったことないし知らんけど。)

ということで、人間にとっての猫ちゃんの本質を色んな面から読み解いていきます。🐈💭

2. やせいの  ねこ  が  あらわれた!

猫は、最も野性を失っていない家畜であると言われています。
猫の性(さが)に関する随筆では、次のように表されています。

猫は飼養動物のうちで最も人間に近い生活をしている。屋内に人間と同居し、同じ食物を食べ、同じ寝具に眠る。にも拘らず、犬のやうな奴隷根性がない。(中略)
猫のうちには、馴致されきれない何物かが残っている。

(『豊島興志雄著作集』未来社,1967年(豊島興志雄『猫性』より))

この人犬が嫌いなのかな……?

それはさておき、上記では猫は人間に対して犬ほど従順でなく、従って、猫は猫本来の何か、つまり野性を保っていると指摘されています。

猫の野性についてはその通りだと思っていて、猫は数千年ほど人間のそばにいながらも、きわめて野性を失いにくい特殊な環境下にあったと考えられるからです。

特殊な環境下と言いますのも、長らく人間に必要とされていた猫の家畜としての仕事は食用でもなく、猫本来の習性である鼠などを捕えることであったため、人間に密着した生活をしながら一方で野生を保ち続けることができたということです。

このような性質を踏まえ、猫の特徴については下記のように指摘されています。

野生動物としての姿を、自然に対して特殊化した人間のせまい社会や家庭の中に"土足で"持ち込んでいるために、(中略)
野生動物に対して人間がいだいていた心持を家畜の猫に持続させていることであります。

(大木卓『猫の民俗学』田畑書店,1975年7月)

猫は、人間にとっての野性の象徴であると言えるのです。

つまり、人間の社会生活と対をなす、自然あるいは異界そのものを体現する者にして、こちらの世界とあちらの世界を行き来する者、それが猫なのです。

3.猫と盗賊

先程、猫は境界を行き来すると書きましたが、では何のために行き来するのかというと、そこから奪うためです。

つまり、猫は盗賊のようなものなのですよ。

少し前までは、あまり猫を長く飼うと魂が奪われて猫が化けると言われていました。

猫を飼ふには最初其猫に向ひ『二年間飼うてやる』とか『三年間飼うてやる』とか言って予じめ年期を定めて飼はねばならぬ。若し年期をきめないで置くと年老いて古猫になり化けるからいけない。年期を定めて置くと其年期が満つれば猫は何処ともなく往ってしまふといふ。

(雑賀貞次郎『牟婁口碑集』,1927年)
猫を飼ふ時何年と年数を限らざれば永年ながらひ遂に猫又となりて仇をなす

『石川県鹿島郡誌』,1928年

見てみたいですけどね、猫又ちゃん。

また、猫についての俗信には下記のように盗みに関するものが多いです。

猫の俗信には(中略)、客を招き、人の魂を摂取する。更にいずれも魔除けになる。(中略)
盗んできたものの方が験があるなど云い、他から受けてきて所有するのを良しとしていました。

(大木卓『猫の民俗学』田畑書店,1975年7月)

上記にもあるように、よく猫は招くと言いますが、招くいうことは、その言い方こそ柔らかいものの、他から奪うということですから、猫の略奪者としての性質が良い感じに表れているんじゃないかと思います。

また、下記のように、猫と盗賊は同じ言葉を使って表わされる事があります。

たとえばサンスクリット語のナクタカリン(Naktacarin)は、猫と泥棒の両方の別称として使われている。(中略)
蟻、ネズミ、モグラ、蛇は身を隠すことを好み、秘密を隠そうとするのに対して、エジプト・マングース、イタチ、猫はたいてい隠れている者を追い払い、そこにあるもので運べるものは全て持っていってしまう。彼らは泥棒であり、他の泥棒を追い回すのだ。

(M・オールドフィールド・ハウイ著,鏡リュウジ訳『猫と魔術と神話事典』柏書房,2010年4月)

面白いのは、サンスクリット語のネズミの語源も泥棒だとか強奪者だとかから来ているので、上記にある通り、猫は泥棒を狩る泥棒になってしまうんですね。
どっちやねん。

他にも、ヨーロッパ圏などの猫を示す単語の語源は、「つかむ」「とらえる」を意味するアーリア語ghadから派生しているという説があります。

つかんだりする手癖というものは、やはり泥棒には必須のスキルでありますからね。
(泥棒ではないので知らんけど。)

余談ですが、泥棒の手といえば、私の一番好きな魔術道具のひとつに、「栄光の手」というものがあります。

これは泥棒のための道具で、手といっても用途は燭台なのですが、これに火を灯している間は誰にも見つからずに何でも盗むことが出来る、すぐれものなのです!

有名な道具なので、作り方も明らかになっています。
作ってみようと思ったりもしたのですが、わたしは材料が手に入らなくて諦めました。

みんなも興味があれば作ってみる?✋
 「栄光の手」は、下記のように作ります。

まず、絞首刑になった犯罪者の手をまだ絞首台にぶら下がっている間に切り取る。
それを必ず埋葬布の一片で包み、よく血を絞り出す。そして、土製の器に入れ、硝石、塩、コショウの実などを粉末にしたものに15日間漬け込む。それから取り出し、シリウスが太陽とともに上る暑い盛りの時期に、からからに乾燥するまで天日で干す。日差しが足りない場合は、シダとクマツヅラで熱したかまどに入れて乾燥させてもよい。この過程で得られた脂は、真新しい蝋とラップランド産のゴマと混ぜて何本か蝋燭を作る。
こうしてできあがるのが「栄光の手」である。それは一種の燭台であって、「栄光の手」の指の間に蝋燭を立てて火をともすのである。

(草野巧『図解 魔導書』新紀元社,2017年10月)

上記を読んだ方、「マジで手だった……」と思ったことでしょう。
私も、最初の一文の時点で今の日本じゃ無理〜!
ってなりました。みんなそうなると思う。

ただ、一番最近ではおそらく1904年で、「栄光の手」の作り方が記載されている書籍を所有していたカリブ海のバルバドス島の強盗犯が、少年を殺害したうえで彼の両手首を切り落としています。
おぞましい事件です。あと材料もちょっと違うし駄目ですね。

……また長いこと脱線してしまいました。

本筋に戻りたいところですが、猫ちゃんについての記事はまだもうすこし長くなるので、一旦ここで区切ります!

次回に続く🐈🐈💭

参考文献

(*1)一般社団法人ペットフード協会「2020年(令和2年)全国犬猫飼育実態調査 結果」,2020年12月
(*2) 藤永保監修「最新 心理学事典」,平凡社,2013年12月,文化心理学の頁を参照

他、文中で引用した書籍から

>>次回
      木彫りの猫製作プロジェクト③-4
      (研究・セカイネコ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?