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奥田民生と、マイケル・コースと、右脳を使っていないという話

こんばんは、あずき(夫)です。

そういえば、このnoteのテーマは夫婦の交換日記だったな、と、ふと思い出しました。
最初は軽い気持ちで、ゆるく書いているつもりでも、だんだん「何かを伝えなきゃいけないのではないか」と思って書いたものをボツにしたりして…ってこと、ありません?まだ始めて1ヶ月くらいなんだから、もうしばらくのんびり続けることを目指したっていいじゃないか、なんて思ったりしたわけです。

そういうわけで、今回は交換日記、つまりは想定読者がきなこ(妻)だけのようなつもりで書いてみようかなと思います。

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きなこがお風呂に入っている間に、奥田民生のカバーした「スローバラード」を聴いていました。まあ、聴いていた音楽がなにかというのはこのあとの内容と特段関係ないのだけれど、事実として(このカバー、めちゃくちゃ良いんだよね)。

で、聴きながら村上春樹の「大きなかぶ、むずかしいアボカド」を読んでいました。

なんだか、最近の自分を振り返ると、ゆっくり何かを読んだりすることが少なかったな、と思ったので、まずはスキマ時間で読みやすい短文のエッセイを読み返していたわけです。僕にとっては、文章を読むというのは最も身近なインスピレーションを得る手段というか、精神的な活動というか、健康で文化的な最低限度の生活というか、そういうものなわけです。

読みながら、今日ふと観たVogueのYoutubeを思い出しました。マイケル・コースが自身の自宅を案内しているやつです。

彼はデザイナーだから当然なのかもしれないけれど、身の回りをおそらくインスピレーションを得られるもので固めていて、ニューヨークの豪華なペントハウスの、生活感のない家で生活しています。彼は世界中から買い集めた器や、何かを切り取った写真や、あるいは芸術作品の中で暮らしているわけです。

それを見ながら、芸術や音楽って、誰にとっても、インスピレーションを得るために、あるいは人間の人間らしい活動のために重要なもののはずなのに、どこかとっつきにくいというか、踏み込むからには詳しくなければならない、詳しくない人は楽しむ資格がない、みたいな先入観があるなぁと改めて思いました。右脳的・感覚的なもののはずなのに、左脳的・知識的に入ろうとしてしまうというか。

そういうわけで、なんとなく「これいいなぁ」という感性に従って選択するということを僕自身が最近忘れているところもあったなと思うわけです。反省、というわけではないのだけれど、そういうものに生活の中の時間を少し割いてもいいかなと思いました。限られた時間の中で、おもち(息子)の世話をし、仕事をし、家事を行い、将来を現実的に考えると、どんどん左脳の稼働率が高まるばかりで、ふと最近どうだろと思うと、右脳がなまっているような感じがするなーと思ったり。

おもちを妊娠して以来、美術館に行ったりはできていないのだけれど、以前は結構上野でデートすることも多かったなと思ったりして、そういう芸術、美術の刺激というのがふと懐かしいなと思うわけです。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

今日ははじめておもちに熱が出たりして、突発性発疹でないことを祈るばかりです…

今日も子育てお疲れ様でした〜!

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