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【電子書籍チャレンジ】すべての人は、自分が選ばなかった人生を生きているパラレルワールドの自分なのかもしれない

電子書籍プログラムがスタートしてもうすぐ一か月です。

私はまだ競技場の中をチンタラ走ってますが、
他のメンバーは勢いよくスタートを切り、
すでにロードを爆走中です。

とはいえ、マラソンと違って
「決められたゴールに早く着いたほうが勝ち」
というルールではなく、
「最終的に自分が納得できるゴール地点に
たどり着けばいい」ので
ここは焦ってもどうしようもないし、
マイペースで行くことにします。

人生は選択と決断の繰り返し

メンバーはそれぞれFBに進捗状況や質問などを
書き込むのですが、
ひとりひとりのストーリーを読んでいて思うことは、

人生は
自分で選んだこと、
選ばされてしまったこと、
選ばなかったこと、
選べなかったこと、
なにかのチカラで捻じ曲げられたこと、

それらも含めて
無数の選択と決断でできているということ。

私だって違う決断、別の選択をしていたら
今とはまったく違った人生があったはず。
いくつもの「パラレルワールド」が存在していて
そのひとつを生きている。

性別、年齢、性格、生まれた環境。
違いはあるけど、きっとこのストーリーは
私が選ばなかった、
選べなかった人生なのかもしれない。

あのときピアノをやめてなかったら?

子どものころ、ピアノを習っていたことがある。
練習がイヤですぐにやめてしまったのだけど、
もしそのまま続けていたらどうなったのだろうと
考えることがある。

だから、
ピアノがうまい人、ずっと続けている人をみると
アッサリやめた後ろめたさと同時に
私ができないことをやっているという
尊敬の気持ちの両方を感じる。

ピアノをやめたことに後悔はないけど、
その人は、
「私が選ばなかった人生を選んだ人なんだな」と
思うようにしている。
そう考えると、
その人を構成するひとつのパーツではあるけれど、
私のパラレルワールドを生きているみたいだと
感じることもできる。

一は全、全は一

今までは「自分は自分」、「他人は他人」って
思ってたけど、
こうして他人の人生を知ることができ
自分との共通項や似たような境遇を知ることで、

「すべての人は、
自分が選ばなかった人生を生きている
パラレルワールドの自分なのではないか」

と思えてきたら、
「一は全、全は一」という考えが
ほんのちょこっとだけわかったような気がした。

別の世界の違う自分が無数に存在していて
「まわりの人はすべて自分そのものなのだ」

そう思えたら、
すべてのひとに優しくありたいと思うし、
困ってる「自分」がいたらそりゃぁ
手を差し伸べたいよね。

同じ人なんていない

こういう考えに至ったとき初めて
まわりとの調和がうまれる。
「別の自分」なのだからきっとわかりあえるし、
うまくいく。

よく目の前の人は自分の鏡だというけど、
目の前の人だけでなく、
すべての人がそうだと思う。
もちろん、好きな人や尊敬する人だけでなく
イヤな人や苦手な人もすべてそう。
そして自分自身もたくさんいる
「パラレル」の中のひとり。

だからこの世にはひとりとして
同じ人間はいないのだ。
そっくりな外見、似たような境遇であっても、
まったく同じ人間なんて存在してない。

ひとりひとり違った選択を繰り返してきた、
たったひとりの「自分」なのだから。


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