ママの気持ちをイメージする

①「授業がある××(中1の息子)にとっては長い1日かもしれませんね。でもこっちにしてみりゃ、朝が来たと思っても、気付いたら夕方ですよ。」家庭教師先のお母さんのぼやきを、私は車の助手席で聞いていた。

②ネッ友から聞いた話。12歳年上の経営者と結婚した友達が5人目の子どもを妊娠した。すでに4人の子どもがいて彼女の生活の苛酷さは想像にたやすいが、旦那さんは家事に協力的でなく、休日も自室にこもって作業をしている。彼女は元々かわいらしい人だったそうだが、すごく太ってしまった。彼女曰く「食べることしか楽しみがない」。なお離婚の予定はない。旦那さんに両親兄弟の働き口を支援してもらっていることも関係しているのだろう。

③平日の昼に入ったレストランで、隣に座っていたママ同士の会話。「何もないと、毎日子ども送って、家事して、本当に単調。でも、推しがいると、ライブの何ヶ月も前から、服を買おうとか、美容院に行こうとか、生活に張り合いが出るの。」先日放送されたクロ現のアイドル特集で、前田祐二さんが「推しは生活に欠かせない水のような存在になっていく」と言っていたが、まさにそのエンドユーザーの生の声を聞いた。

30年、40年と人生を重ねていくと、新しい出来事に出会う頻度は減っていき、生活が単調になっていくのだろう。「食べることしか楽しみがない」「推ししか楽しみがない」すなわちパンとサーカス、生理的欲求に直結した快楽や他人から与えられたコンテンツでしか退屈をごまかせない。まあ私の生活もそんなものなのかもしれないが、やっぱり何かが違う気がして、そんな毎日楽しいのだろうか、と思った。それは誰かあるいは何かに仕向けられた生活なのではないか、他にすべきこと考えるべきことがあるのではないか、そうならないためにはどうしたら良いのかと考える一方で、年を重ねれば誰もが達する境地なのかもしれないとも思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?