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どうか、どうか虐待の抑止力に。

皆さんはお弁当にどんな思い出がありますか?

お弁当に入っていたこのおかずが大好きだった、我が家の卵焼きはこんな味付けだった、こんなデザートはテンションが上がった、とか、あの時のお弁当箱はこんなので、なんて思い出もあるかもしれません。

私は、市の体育大会の日にお弁当を作ってもらえなかった思い出が、お弁当の代名詞になっています。作ってもらえなかった理由は、やはり「成績」にありました。体育大会の前日に結果が公表された模試の成績が思わしく無かったのです。

補足:我が家では母親の満足いく成績を残せなかった日、食事をもらえませんでした。それは我が家にとっての日常で、常識でした。その当時は受験勉強に忙しく、おやつを食べる時間が無かったこと、そして頻繁に食事を貰えない日があったことも相まって、私の身体はとてもカリカリでした。(二の腕が人差し指と親指で楽に囲える細さで、肩甲骨も飛び出していました)

元々はママ友グループで応援に来るはずだった体育大会。お弁当も作ってもらえなければ、応援に一緒に来るはずだったママ友達の声が聞こえた時、駄目元で、でも期待も込めて見上げた目線に母はいませんでした。

元々食べることが大好きだった自分が、特に楽しみにしていたお弁当の時間。皆それそれがキャラ弁やから揚げなど、特別なお弁当を嬉しそうに食べる中で、私は父が無理やり準備してくれた、チルドのミートボールとカニカマだけが入ったお弁当を、涙をこらえながら見つめていました。両手両足では足りないほど辛い経験が多すぎた虐待生活の中でも、特に濃い思い出が、この日のお弁当と受験初日です。

全く家事をしない父が、お弁当を用意してもらえていない事に出発の30分前に気付き、大慌てで作ってくれたお弁当。その優しさを感じてはいたけれど、それでも皆のキラキラしたお弁当が羨ましかった。そして父が居なければ、気付かなければ、体育大会に何も持たずに平気で行かせようとしていた母が恐ろしかった。
(当時は小学生だったので、コンビニで買うお金も知識も無かった)


私は、今でこそ成績が悪いからご飯がもらえない、ということがどれ程異常か知っています。解決するすべと、知識、お金も手に入れました。ですが、昔はそうじゃなかった。定期テストの成績が悪い日は、父から緊急用にもらっていたお金で菓子パンを大量に買って帰ったし、普通は帰宅して夕食があるのに大量に菓子パンを買い込む私を、友人達はいつも不思議そうに見ていたこと。「成績悪くてさ。今日絶対ご飯もらえないから」と言うと、いつも驚かれていた。お弁当を作ってもらえないことを当時の友人に冗談めいて言ったら、「うちのお母さんに頼んで2つ作ってもらおうか」と声をかけてくれたこと。これらは、カウンセリングで解毒してもなお、私を苦しめる記憶の1つです。

だから私は、どれだけ怒っていても、パートナーの食事やお弁当を作らない日はありません。(どうしても怒り狂っていて作る気になれない時があっても、その時は自分の分も作らず、帰宅した際に2人で買いに行きます)それとこれは別だから。いっときの感情と、やってはいけない事を交えて考えてはいけない。


私記事を読んでくださっている方の中には、中学受験をご家族が控えられている方、終えられた方、検討している方がよくいらっしゃいます。最近では、クラスの七割が受験を控える地区も珍しくないそうです。
中学受験、辛いですよね。親御さんの辛さがあることも、そしてそれが半端ではなく大きい事も、私も知っています。なにせ中学受験が虐待のトリガーの1つになった家庭なので。ですが、どうか一度、立ち止まって考えてみていただきたいです。

その中学受験は、本当にしなければいけないものなのか。本人の意思はどこにあるのか。そして、受験と引き換えに、我が子に対する愛情を条件付きにしたり、何か大切なものを見失っていませんか。あなたのお子さんは、心の底から笑えているでしょうか。辛い事悲しい事嫌な事、ちゃんとお父さんお母さんに言えていますか?
お子さんが本音を言える環境はあるでしょうか。

私は実家とかなり疎遠な関係性で、将来結婚したら絶縁するつもりです。たった1人の娘を、待望だった命を、自分の手で失うのです。

私は学校でのいじめや、塾で丸3年続いた壮絶ないじめすらも言えなかった。自分の意思が1つも伴わない受験のレールに勝手に乗せられ、毎日死にたくて消えたくて、どうしたら死ねるのかばかり考えていたあの日々を思うと、どうにか自分が抑止力になれないものか、いつも考えます。街中でひどく怒られている子を見るとすごく心が痛むし、その状況になった原因もまた、色々ある事も知っています。(ご両親の家庭環境、義実家の環境や関係性、ママ友パパ友の環境、などetc..)

だからこそ、私はインターネットに自身の過去を公開し、赤裸々に語る事で、出来る限り多くの人の目に触れて欲しいと願っています。一度でも立ち止まり、見つめ直して欲しい。

子を失うリスクを負ってまで、受験の結果に価値はあるのでしょうか。

私の中高では、本人の意思に委ねられた受験をした子達が半数以上いました。そして不思議な事に、彼らの方が、血の滲む努力をした私よりも、入学後の成績も良かったし、大学も皆揃っていいところに行きました。何よりも皆、人生が楽しそうでした。

それだけ、親子関係の良好さがもたらす副産物は大きいと言う事です。

激しい受験戦争をサポートするご両親も、あまりの忙しさ、気を揉むことの多さに疲弊し、立ち止まる事は難しい。

だからこそ、何かのご縁で目にしてくださった記事が、世界の、日本のどこかで抑止力になりますように。幸せな家庭が、ひとつでも増えますように。




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