見出し画像

思ったこと#4

重たい内容、直接的なことを書くので嫌な人は引き返してください。それでも大丈夫で興味があるという人は読んでみてください、嫌になったらすぐ引き返してください。よろしくお願いします。










死と自分の距離感

死は限りなく近いです。今この瞬間も目まぐるしい速度で俺の首を切りに近づいてきています。だから全力で逃げないと、あなたも例外じゃないです。

昔、死のうとしてたことがあります。死のうというか死に引っ張られている感覚とでもいうのでしょうか。最初に意識したのは駅のホームでした。自分は動いてないのに線路部分が近づいてくるようなあの感覚ははじめての感覚で、恐いって思いました。その時恐いと思った時点で死の確率は相当低かったんでしょうけど、これが悪化したらどうなってしまうんだろうとも思いました。直後に電車は目の前で停車していて、ゲームのコントローラーの操作ミスみたいに脳の誤作動一発でもしかしたら自分の体はめちゃくちゃになっていたかもしれないなと思いながら電車に乗り込みました。

それから少しして本格的に鬱になってしまっていました。正式な診断は受けていないしこの病気に境界線は無いので恐らく高い確率で鬱病であったと自覚しています。2019年の1年間はそれに該当していたような気がします。常に頭が何かに支配されていて寝れない、食事が取れない、時折動悸がするとかもう散々でした。面白いことにクラスのこととかどんなふうに過ごしていたかとかを全く覚えていません。暗くならないように、明るく振る舞わなければと思い、浮かんだ言葉をハイテンションで喋るとんでもない人間として過ごしていたのは覚えています。人と同じ空間にいるときは常に異常なテンションで訳の分からない発言をしていて、一度部屋で一人になれば絶望的な気分になっていろいろなことに思惑を巡らせていました。もちろん死についても大量に考えました。死ぬことは悪いことでは無いとは未だに思うけど一直線にそこに向かうのはという思いもあって、過去の悲惨な事故や事件、災害について沢山調べました。概要はどうでもよかったです、その場に居合わせた人々の話を聞いてみたかったんです。


1番見ていたのは「樹海のおとしもの」というサイトです。自殺してしまった方の遺体が大量に載っています、間違っても調べないでください。このサイトは自殺防止のために作られたもので、厳しい世界を沢山みました。さっき四年ぶりにサイトを見たのですがこれ以上ないほどの地獄でした。同じ国に地続きである場所とも思えないし、同じ人間だったとも思えない画像が並んでいました。こうならないようにというかこんな選択を取らない世界になればいいのにって思いました。

あとは、東日本大震災のこと。あんなに見たのに津波を僕らは見たことがない。だからそのことをしりたかった。福知山線の脱線事故、生まれてすぐの話で知らなかったから親に教えてもらった。普段乗ってるのと変わらない電車が吹き飛んでぺしゃんこに潰れていて。ほとんどの乗客が亡くなった2両目の生還者の手記を読んだ、漫画の中みたいな死に方をしている人が山ほどいた。電車の席の端にある鉄の棒が折れてそれが腹部に突き刺さって亡くなった方もいたようで、意味がわからなかった。9.11のドキュメンタリーや通話記録を見た。悲痛だった。火事の煙にまみれながら助けを求める人、死を悟りメッセージを残す人、諦めか苦しみのせいか地面に身を投げた人。。飛行機がビルに突っ込む実際の映像も残っていて、視界に映る範囲で何百人死のうと自身が生きていればその光景は続いている感覚が恐ろしくてしょうがなかった。

最初の駅の出来事も加えて、自身の中から死の誘惑はすこしずつ薄れていった。



なんでまた急にこんなことを書いているかというと、先月末に14年間一緒に過ごした大好きな犬の「クー」が死んでしまったからです。

死ぬ前日に奇跡的に一緒に写真を撮っていました。ここ数ヶ月は本当に元気がなくていつ死んでもおかしくないのに、僕はずっとこいつが生きていく前提で生きていて。翌日の朝、クーが倒れていると親に起こされた。早朝なんて最近はぜった起きないし目なんか覚めないのに一瞬で目が覚めて、倒れているクーを目の当たりにしてなんてことだと思った。寒いのに毎年頑張ったなと声をかけつつ撫でてあげていたら、彼は目を少し開けてこっちを見てきた。もうそんな力は無いと思っていたから驚いたし、今までで1番この犬が好きだと痛感した。死なないでと思った。けど昨日の立っているのもやっとなこいつの姿を思い出すとこのまま楽になってほしかった。手を差し出すとペロペロ舐めていたこいつは生きるのが苦しかっただろうか。最後にバイバイとだけ声をかけてお別れしたけど毎日家を出るとき、帰ってきた時に犬小屋のほうを見てしまう。ダルそうに今日も軒先に出てくるんじゃないかと思ってしまう。その時間が1番寂しい。

家族も友達も今は生きていて、居なくなるのが寂しいと思うけど自分が居なくなるなんて最近は微塵も考えていなかった。クーの死を見届けて改めて死との距離感を考えた。思っていたよりもずっとずっと近かった。

でも60年後、もし僕が生きていても今の知り合いが死んでもそれを知ることは殆ど無いと思う。全部忘れてるかもしれない、知り合ったことも全部まとめて。それが一番悲しいことかもしれない。

この曲を作った波多野さんは震災後の世界を見て自分の作品の愚かさを痛感したと言っていた。この人もこの人の音楽も死と隣り合わせの感覚がある。

藤原基央はもっと単純に生きろと伝えてくる。そうは歌わないけど、明確に伝わる。

結局のところ、死に叛逆する意志を自分も持ってるしそういうものが好きなんだと思う。みんなにそうしろとは言わないけど自分は常に死と生の間に挟まれていて、「またね」が通用する世界で生きてるわけじゃ無いことを覚えておいてほしい。あとは、最後の最後に逃げ込める場所を用意しておくこと、それはできるだけ概念的で消えるなんてことの無いものがいい。僕は音楽があったから生きていける、バンプとかピープルが居るからじゃなくて音楽そのものに生かされてる。なんでもいいからそういうものをひとつ、自身の中心に置いておけば本当の意味で心が折れることはないと思うんだ。だから、あなたの呼吸があなたの意志で続く時間ができるだけ長く続くことを祈ります。

丹波小豆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?