見出し画像

小説| 水際の日常。#あとがき

■有料級の自己啓発セミナーを、飼い猫から受講しています

あたしの生き方のお手本は、うちのメス猫たちである。これまでも、のべ20匹くらいの猫を飼ってきた。ほとんどが、ふらりとうちに現れた迷い猫だった。
 うちで飼うことになった猫たちは、不妊、または去勢手術をする。ずっと以前は、手術するという選択肢が今ほど一般的ではなく、オス猫を去勢せずに飼っていた時期もあった。無去勢のオス猫たちは喧嘩が絶えず、そのため病気やケガが多く、どの猫もあまり長生きしなかった気がする。それが自然の寿命なのかも知れないが。
 メス猫は、発情期になると鳴きやまず落ち着かずで手に負えない状態となり、その流れで妊娠して子が産まれても飼ってあげられないため、うちで飼うためには手術するしかなかった。
 うちで飼われることになった猫たちは、子孫を残すという仕事と自立を奪われ、飼育する人間ありきの存在として、人間の支配下で暮らすことになる。
 おそらく「ペットの不妊手術は動物虐待」と考える自然志向者もいるだろう。彼らの視点からうちの猫たちを見ると、「猫としての尊厳を著しく人間に傷つけられた被害者」になる。
 確かに、当事者に承諾もなく腹を切って、酷い事をしているとも思う。不妊手術の後、飼い猫に距離を置かれ、信頼関係を取り戻すのに数年かかったこともある。
 けれど、今現在、うちの被害者たちは、傷を抱えながら、被害者として悲しげに、死んだように生きているかというと、そうは見えない。
 わりと自由に生きている。
 寝てばかりいるが、生きていてつまらなそうな感じでもない。
 それぞれ、日々のルーティンがある。屋外にパトロールに出かけたままたまに朝帰りもする、行動歴が謎の猫もいれば、ほとんど外出せずに、家の中のパトロールに余念がない猫もいる。
 どの猫も、眠る場所にはこだわりがあるようだ。屋内外、お気に入りの場所をいくつか確保してあり、新規のコンフォートスペース探しにも余念がない。その好みは気分や気候などによっても変化する。
 毛づくろいには本当に熱心で、爪とぎも含め、かなりの時間をかける。食事にもうるさい。同じ猫缶やドライフードを与え続けると飽きて食べなくなる。セール品をしれっと提供すると、すぐにバレる。フン、という顔をして、食べない。だからキャットフード代がだんだんかさんでくる。
 うちのメス猫たちは、みな年寄りだがふてぶてしい。所詮、人に飼われている身で、自分の力で生きている訳ではない。いわば、依存の、ヒモ状態だ。子を産み育てたこともなく、生態系の中での立ち位置は人間寄りといえるだろう。
 けれど、うちの猫たちは、人間のように自分を蔑む言動とは無縁のようだ。楽しそうに、ふてぶてしく暮らしている。
 日々を謳歌し、自由で、堂々としていて、精神的にも自立しているように見える。
 うちの勝手口には猫穴があり、猫たちはいつでも外出が可能だ。だからうちが気に入らなければ出て行くことも出来るのに、外出しても、ちゃんとうちに帰って来るのが、いや、帰って来てくれるのが、本当にうれしい。尊い。ありがたい。
 そんなうちの猫たちみたいなマインドに、あたしもなりたいと思っている。

■「水際の日常。」を書き終えて

「水際の日常。」は、あたしのある時期を切り貼りした実話ファンタジーである。
 健忘症が悪化する前に書き留めておかなくてはと思い、ここに至ります。読んでいただいてありがとうございます。実際、書いてみると、案外内容薄く、まぁこんなもんか、と思った。
 もう少し加筆修正して、本にするつもりだ。伏線回収が出来ていない箇所がいくつかある。あと、ママには心から感謝している。大好きだ。
 この仕事のおかげで、同伴、アフターと呼ばれる行為が立派な「業務」なのだと遅まきながら知った。そして、お座敷よりも「店外」のほうがずっと高くつく。…だから、自分より立場の弱い素人をうまく丸め込んでタダ働きさせちゃいけないよ。ミートゥーだよ。後で請求されるよ。
 そういった、全く気の進まぬ誘いを相手の人格を傷つけぬようやんわりと断った後に、時として浴びせられる手のひら返しの罵詈雑言や意味不明な説教にも、おかげさまでずいぶんと耐性がついた。ババアやブスと面と向かって言われても、ほんわか笑顔で返せるサービス精神が育った。
 …というのは嘘だ。言葉に綴りながら、あたしはもっともっと、自分を慰め励ましていく必要がある。

この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

投げ銭大歓迎です。とても励みになります。