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私のリカバリーストーリー「発症PartII」

発症PartII

私のリカバリーストーリーに時間です。
今回は、前回の話の補足的なことを書いていこうと思います。

では早速。

最初の発症が31歳の時です。
発症の原因を考えるといろんな事が浮かんできます。

まず初めに浮かんでくるのが、
仕事のことです。

当時は型枠大工として建築現場で働いていました。
しかも、職人をまとめるような立場で。
そしてかなりハードな現場に配属になり、
朝7時には現場に入り仕事を一人で初め、
夜9時ごろまで現場にいて片付けや次の日の準備をして帰る。
そして、家に帰っても図面を見ながら、
資材発注のリスト作り、
職人の手配、
などをしてから寝る(いつも0時ごろ)
のような日々を約2ヶ月繰り返していました。
そんなとき、
いつものように仕事のことで、上司に相談をしました。
が、全く取り合ってくれませんでした。

もうパニックです。
完全に自分を見失いその場で号泣。
これまでの頑張りが全否定された感じで、
自分の中にあった何かが、
全てが崩れ去りました。

その後、仕事に集中する事ができなくなり、
ミスばかりする私は、
現場から外されました。

職人を使う立場の人間から、
使われる立場の人間に降格でした。

この降格が
さらに私を苦しめました。

資材置き場に配置換えとなった後、
一人で仕事をするようになり、
時間をもてあそぶようになった私は、
自分を責めることしかしなくなりました。

こんなはずじゃない。
こんなのは自分じゃない。
こんなことではダメになる。
恥ずかしい。
など、とにかくネガティブなことしか考えられなくなり、
次第次第に、自分の殻に閉じこもるようになりました。

そして原因のもう一つとして考えられるのが、
家庭環境です。

この頃、結婚し、
一児の父親として、
生活をしていました。

結構幸せな毎日ではありましたが、
一つだけ不満がありました。
それは、妻の実家のすぐ近くに住んでいたので、
何かにつけ義理の母が家にきては、
子供の世話や家のことに口を出していました。

仕事で忙しかった私は、
この母の行為に苛立ちさえありました。
しかし、妻は私の苛立ちには全く気付くことなく
遅くまで仕事をする私に
家のことをして
子供の面倒を見て
早く帰ってきて
などを毎日毎日言ってきました。

こうなると家庭でも仕事場でも
心を休めるところなど私にはありませんでした。
自業自得でもありますが。

そして、限界がきました。

仕事ができない、
家でもイライラして何もしなくなります。

と同時ぐらいに
妻から不意に
「離婚」を告げられました。

私は、全てが真っ白になりました。
一気に生きる意味がなくなってしまいました。

そこで、家族にお金だけは残そうと思い、
自殺することにしました。
死に場所を探し何時間も彷徨いました。
でも、息子の写真を見たら死ねなくなり、
親戚の家に逃げ込み助けを求め、
保護され、
次の日病院へ。
うつ病と診断されました。

まだまだ、発病の要因はあると思いますが、
仕事、
家庭、
の二つが
発病のトリガーになったことは
間違いありません。

今気づいても後の祭りですが…

では、今回はここら辺で終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

気に入っていただけてたら「スキ」して頂けると嬉しいです。

次回もお楽しみに。




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