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随想起抜『わたしの腿膝三年尻八年』リライトはじまる。

「ももひざ三年しり八年云うてな、後家はんになってからも腿や膝に旦那はんの温もりを思い出しながら啼く日々は三年にもおよぶそうでな、尻にあっては忘れるまでには八年もの時間を要するいうんやから、そりゃぁ寂しかったんですやろうなぁ。さっさと十八年も経ってくれたらこっちのもんなんやろけど。
割れ鍋にも綴じ蓋いうて、どんな鍋にも、たとえどうであれ蓋はあった方がいろいろ都合も宜しいんですやろうなぁ。
 ほれにしても… 昔の人はえらい粋なことを云うたものでしたなぁ」

                                                          ◆

ここを訪ねて頂けるフォロ友の皆さんであれば、どの作品の何処らへんに挿入される節であるかはご理解いただけるのかもしれない。そう考えながら書かせて頂いた。
一度大きく削り18000字程度に落ち着けた"本作"だったが、今回のリライトで、もう一度伸ばすことにした。
形態自体エピソードごとの章立てとなっているからして、エピソードと全体の調和が保たれておれば壊れることは無いとは考えるのだが、仕上がるまでは予断を許さない。
以前書いたときは、エピソードと話の調和、親和性が壊れ収拾がつかなくなって削ったのだが、さてどうなるやら。
 尚、ここに紹介申し上げたということは、もう少し変える前提が存在しているということになる。悪しからず。

さて、腿膝三年尻八年(ももひざ三年しり八年)。
心優しいわたしのお友達の皆さんは、わたしがこの言葉を愛していることはご存じたと思う。40年以上の付き合いになる言葉だが、未だかつてこの言葉が私の作品に登場したことは無い。が、今回はじめて登場させる決断を下した。吉行淳之介は男子たるものの士道の一つとして「腿膝三年尻八年」を説いたことは知られたところ。

わたしは今回"女子"に使って見ることを選択したのである。
 そりゃぁ芸がなかろうよ。なぞるだけでは(笑)
 むしろ新しもの好きな新進気鋭なる書き手の皆さんや読み手の皆さんにどう感じて頂けるのかは楽しみなところである。
望むべくは「古い」という言葉や「黴臭い・埃っぽい」という言葉から距離を置いて感じて欲しいところではあるのだが…… 。まぁ、書き手の欲目なのかもしれぬ。

さて。勝負 ! !


※"桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年"が正しい。
吉行文学では「ももひざ三年しり八年」と男子の夜遊び士道を説いている。
これで十八年の意味がご理解いただければ有難い。
文中にかかる注釈がないので理解できる人は概ね昭和かと(笑)

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