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依存で全て失った


最悪な方向へ進んだ、なんて言葉は後付けでしかなくて、その時のわたしはただ心と身体の快楽を求めていただけだった。ただ、愛のない関係で満たされるのは心の表面だけで、心の中身は冷えきったままだってことは、そのときの自分も知っていたことかもしれない。


猫(大学3年春~秋)


大学3年生になってからゼミの繋がりで知り合った彼女は、見た目も性格も猫をそのまま擬人化したような人間だった。
顔は猫系かつ、ファッションは私好みの地雷系。すぐに懐いた、かと思えば馴れ合わない、かと思えば急に甘えてくる。極度の人見知りで、味方と敵の間に明確に境界線を引いている。気分の変化が激しい。彼女はわたしにはわからない自分の軸を持っているのだけれど、わたしはずっと何を考えているのかわからなかった。

そんな彼女と身体の関係を持った、そこまではよかった。わたしはそんな彼女に縋りついてしまっていた。だから、最悪の選択肢を選び続けた。

まず、彼女と関係を持ち始めた頃、彼女には交際している人がいた。わたしもそのことを知っていた。ここまで耐え抜いた読者諸君も、頭を抱えているだろう。
こうして当時のわたしは「いぇ〜い彼氏くんみってる〜?」と優越感を抱いていたのだろうが、今になって振り返ると滑稽そのものである。彼女は当の彼氏にはすっかり冷めて爆発寸前だったというが、むしろそれまでは愛し合っていたのだ。それも2年間。

わたしは、9年前に天使ちゃんに出会ってから、誰も好きになったことがなかった。好きという感情ごと、天使ちゃんに連れ去られてしまっていた。残ったのは、依存感情だけだった。
最低なわたしにとっての「優越感」とは「強がり」でしかなかった。
わたしも誰かを愛してみたかった。たとえ愛されなかったとしてもいいから。

そして、やはりわたしは彼女(猫)に依存していた。
わたしの精神が不安定になりしにたい、と泣き喚く度、彼女は何も言わずに頭を撫でてくれた。
始まったゼミで何度も叱責され、精神的に弱まっていたことも相まって、彼女ならわたしの弱いところも受け止めてくれるのだと、いつの間にか信じきってしまっていた。最後の日も彼女は何も言わないでいてくれたけど、それは彼女の負担になっていた。

そんな絶賛依存中のわたしは、最悪の決断をしてしまう、7月。
わたしは、付き合ってもいない、出会ってから3ヶ月の人間と3LDKの新居を借り、元いた小さな家まで契約をやめてしまったのだ。

元々、出会ってからのわたしは彼女の家に入り浸り、半同棲のような形になっていた。
2人で済むには小さすぎるからと、引越しを提案したのは彼女だった。いいじゃん、ととんとん拍子で引っ越すことが決まった。
後から聞いた話では、彼女は冗談のつもりで言ったらしい。当のわたしは、依存で頭が狂っていて、一緒に暮らすことしか頭になかった。正常な判断もできない状況だった。

実際、言われてみれば引き返すことができる瞬間がいくつもあった。1番良い物件が先にとられたとき、安くて良さそうな物件の内見に行ったら動線が微妙だったとき、考え直すチャンスはいくらでもあった。そのとき、彼女のテンションは下がっていて、やんわりと考え直すことを伝えていた。わたしはそのことを知っていて、知らないふりをした。

そして彼女が帰省している間に、やたら広く比較的安価だが、木造であることがネックだった物件の内見と契約を済ませていた。
終いには、彼女に内見すらさせていないことに気づいたのは、引越し当日だった。わたしは彼女のことを何も考えていなかった。

彼女は最後の夜、ほとんど見せたことのない涙を流しながら、「身体的に男であることが怖かったから、従わないとどうなるかわからなかったから」と、話した。
あのときのわたしは、精神的にも、完全に「男性」だった。自ら「無性」を名乗っておきながら、身体も大きく女性より地位の高い「男性」で彼女のことを押さえつけていた。
本当は性器が存在することがわたしにとっての苦痛なのに、性器に従って都合のいい関係を築こうとしていたから、罰が当たったんだ。



時は戻って8月、引っ越した。
案外新居も気に入ってもらえたらみたいで、わたしの愛鳥と楽しそうに遊んでいる。彼女のつくるおいしいごはんをたべて、お酒を飲んで、ベッドに寝っ転がって、たまには湯船に浸かった。

彼女の誕生日には、わたしお手製のサーモンレアカツを振る舞って、お金はないけど彼女に似合うペンケースをプレゼントした。そんな生活はわたしにとっても、彼女にとっても幸せだった。

そんな幸せも、やはり長くは続かなかった。当然のように、そんな崩壊を導いた原因は自分にある。
最悪な方向へ進んで、残ったわたしを大切にしてくれている人のことも傷つけた、最悪なわたし。



忘れもしない2023年9月19日。事故だった。正確に言えば自損事故、視点を変えれば事件でもある。

自転車でバイト先に向かう途中、国道沿いの狭い歩道でガードレールに衝突し、そのまま救急車で運ばれた。

幸いにも身体は軽傷で済み、顔を数針で縫う程度で済んだが、次の日は安寧ちゃんへ会いに東京へ行く予定だった。あの日以降もわたしを心配してくれていた安寧ちゃんとは連絡を取り続けていたが、夏頃に安寧ちゃんに誘われ会う予定を立てていたのだ。

ぼろぼろの足で顔も傷だらけのわたしが東京に行けるはずもなく、会う予定は白紙になった。そして、大切な人に会えなくなったくるしみを、わたしはあろうことか同居人の猫ちゃんにぶつけてしまっていた。わたしのことを大切にしてくれている人に。

しかも、その自転車の持ち主は猫ちゃんだった。数ヶ月前に自分の自転車の鍵をなくしたわたしは、彼女のロードバイクを借りて通勤に使用していた。


事故にも裏がある。

事故を起こした日、彼女は自転車を使う予定があった。しかし、わたしが付けたダイヤル式ケーブルの鍵の番号を教えることを忘れていた。その時美容室にいたわたしは電話に気付かず、彼女は仕方なく徒歩で予定の場所へ向かった。

一方、美容室で髪を切り終えたわたしはバイトの時間に遅刻しそうになっていた。

わたしはずっと自転車に乗れないくらい不器用な鈍臭い人間であり、乗ることができるようになったのは事故のつい2年前のことだった。それ以降はママチャリで快適に運転していたが、わたしはロードバイクのことを理解していなかった。

急いでバイト先に向かう途中、ロードバイクは漕いだ分だけ速度が出るということ、わたしは理解していなかった。

会えなかったくるしみを、大切にしてくれている人にぶつけただけではない。ガードレールにぶつかっただけではない。ガードレールにぶつかったロードバイクは、猫ちゃんが15年弱乗り継いできたもので、部品の改造や塗装もされたたいせつなものだった。

そんなたいせつな彼女のロードバイクを壊したことを、安寧ちゃんに会えないくるしみで追い込まれていたわたしには気づく余地がなかった。鍵の番号を教えていれば、わたしはバイト先まで歩いていくしかなかったのに。そんな後悔ばかりが頭の中を支配していた。


つまり、彼女のロードバイクに勝手につけた鍵の番号を教えず、乗ることが出来なかったその日にロードバイクを壊し、挙句会えなかったくるしみをその持ち主である猫ちゃんにぶつけたのだ。最低だった。
猫ちゃんから見れば、これは事故じゃなくて事件だろう。訴えられてもおかしくなかった。


挙句の果てには、わたしは安寧ちゃんのことを猫ちゃんに話していなかった。安寧ちゃんは恋愛対象としては見ていないが「たいせつ」な存在だったから、そのことを唐突に伝えられ、たいせつなロードバイクを壊された彼女の心象は、想い量っても量りきれない。

猫ちゃんは、それ以降わたしと話しても素っ気ない対応をとるようになった。彼女の中の味方と敵の境界線で、わたしは敵になった。
その理由を彼女から打ち明けられるまで、最低なわたしは何も気づかないままだった。

11月の終わり、彼女は家を出ていった。


12月、安寧ちゃんはLINEを消した。

わたしは全てを失った。
わたしには、もう何も残っていなかった。残ったのは、5万円になった家賃だけだった。


ミルクをこぼした
白く染まる夕方

ミルク/羊文学


みんなで幸せになろう!
2023.03.11

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