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親に忖度する子供達。その末路とは。

今朝起きたら、こんな素晴らしいnoteを書いた人がいた。

5000文字で素敵な外国人女性と知り合う方法が書いてあるらしい。世界はとても狭くなったという事だ。外国人と知り合いかたは、ぜひ購入してみると良い。新しい扉が開けるかもしれない。

しかし、私には全く必要がない。なぜならば、今日ここに書くのは、誰にも出会わなくても構わない。むしろ出会わないほうが精神衛生が良くなるのではないだろうかという昨今の自由恋愛市場を見限る内容のものであるからだ。婚活もアプリもナンパも何もかもクソである。少なくとも私にとっては。そして、毒親を持ったことがある者たちにとっては。

忖度という言葉をご存知だろうか。

そんたく
【忖度】
《名・ス他》他人の気持をおしはかること。
 「わたしの―が許されれば」

私は幼少の頃より忖度をしてきた。
「どちらが欲しいか」「何が食べたいか」「いまお腹が空いているか」「楽しいかどうか」「好きなものは何なのか」「○○したら良いんじゃない?」
など、その全てが忖度対象だ。どの子供もある程度は親の望む回答をするのかもしれない。しかし、私の場合は上記のような日常会話のようなものですら、回答を誤ると体罰が待っている。あるいは家の外に放り出され、更には反省ノートを1冊書かされる事もあるだろう。頭の悪い子供であっても、痛みを避けるために学習をしていく。親の好みを学習し、可能な限り怒られないための回答をしていく事になる。
例えば「どちらが欲しいか」という質問に対しては「いらない」
「何が食べたいか」に対しては「なんでも良い。同じやつでいい」
など、可能な限り怒られる可能性が低いものを経験を積むことで学んでいく。
幼少ながら自分の意思を見せれば痛みを伴うことになるので、相手が欲しい言葉が何なのか。これが家庭での全てであった。

この問題は、そうであった者とそうでなかった者の間で共有される事はない。
簡単な話だ。外国の少年兵の気持ちや戦争孤児の気持ちが私には分からないように、私の境遇も同じ境遇の人間にしか理解はできない。
もし、その境遇は体験したことがないけど、真っ向から受け止められるよ😤
という人がいれば、

私は

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という態度をとります😇
一度だけありましたが、相手の子はキレました😇

そして、現在。
異性との関係においても、相手が何を言えば喜ぶのか、何を言えば不快になるのか。というのが経験によって分かるだろう。そしてその選択肢から最良を選んでいく。それ自体は悪い事ではないように思うかもしれない。しかし、その選択肢を積み重ねた先には「私」という人間像は相手の中にはない。会話を積み重ねるほど「私」から離れていくのだ。それを感じた時、最良の回答を知っていてもそれを選ばなくなる。不快とまでは言わないが、少なくとも良いとされるコミュニケーションを取る気がなくなるのだ。
もう何度目なのかは分からないが、このサイクルから逃れられない。
もはや誰とも出会わない方が良いだろう。忖度はできても意思表示は出来ない。僕にとっても1人で生きる方が精神衛生が良いのだ。過去辛かったからと言って、現代社会が手を抜いてくれるわけではないのだから🦊🐰🦁🐍


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