2019年10月18日

当時の背景
適応障害と言われて2年。双極性障害と言われ半年。
大学4年生。秋。様々な変化・終わりに向けた季節。

今の自分が読み解こうにも読み解けない時期。
わかったフリでしか書くことができない時期。

漠然とした辛さを背景に藁にもすがる思いでいろんな人に助けを求めた。
一方でその連絡をした人たちも巻き込んで
全てをぐちゃぐちゃに破壊して、
自分の周りの人からも見放されてってして楽になろうともした。

壊される前に壊してやろう
そんな思いで人に会いに行く前、夕方に書いた日記。

最近、身の回りの環境を壊したい衝動に駆られる。隠密に既成事実を作ることでそのことがなし得るのではないかと思えて仕方がない。

「いくら/どれほど○○だったとしても、現実が、そしてそこから発生した環境や感情がそれを許してくれるとは限らない」

自分は何かの固定観念にとらわれ、「こうしなくちゃいけない」「こうあるべきだ」というものに縛られすぎているのかもしれない。それでも、その考えが変わるとは今は思えない。

周りの環境、特に人間関係を壊した時に気にするのが、大学の接点が多い後輩。なぜそう思うのか、どんなことを気にすることになるのか、それはわからない。

褒め言葉として使っていないと、うぬぼれではないと、必要もなく前置きすると、自分は人に対して優しすぎると思う。それが悪いとは思わないし、直すべきとはあまり思わない。でも、それが故に優しさが優しさではなくなる時がある。時によって非情になりたい。それが優しさになることだってあるのだろうから。

非情になるには自分をその状況、環境に持ち込む必要があると考えている。極端な考えなのは書いている今でもよくわかる。それでも迷い、苦しんでいる自分にとってはとても簡単な方法に思えて、魅力的なんだよ。

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