決めつけられるほど人ってつまらなくないよ
ある人がある人を批判していた。
「Aさんは〇〇という行動をとっているから、反省するつもりのないの思考が見え見え」
と。
同じ現場に私はいたのだが、その意見に賛同はできなかった。
「思考が見え見え」という言葉。
その言葉って結構一方的な殴り言葉じゃない?
ってことから始まる話。
上で述べたことを片付けるね
上で述べた人の発言の根拠として構成されていたのが、
・〇〇という行動を取っている
・〇〇してなさそう
この2点だった。
1つ目はその人が捉えた事実。2つ目は推測であった。
まず1つ目に関して、私が捉えた事実とは違った。
Aさんが〇〇していると上では述べられていたが、実際に〇〇したのは別の人でありAさんは全く関係がない。
2つ目に関して言えば、個人的な推測であり客観的事実ではない。
この2つから根拠を構成し、「思考が見え見え」と言う。
私から見たら、自分の願望すら混じっていそうな主観でその人を殴りたいようにしか見えない。
そもそも「思考が見え見え」ってなんだろう。
「思考が見え見え」ってどう見てるの
上の例は個人的にはあまりにも雑で少し「?」となっているのが正直なところ。
もう少しいい塩梅の例であれば、私は「思考が見える」っていいなと思っていただろう。
思考が見えるなら、例えば相手の希望に沿ったことができる。
相手に喜んでもらうことができる機会が増えるだろう。
思考が見えるなら、自分を修正することができる。
相手が嫌な気持ちを抱いていることがわかれば、自分を必要に応じて正すことを選択することができる。
自分にも相手にも一定のメリットが考えられる。
思考が見えるって素晴らしい能力かもしれない。
もっといいもの
思考が見えることよりもっといいものってあるんじゃないかって思う。
その候補として自分の中でもやもやしているのは、様々な価値観である。
様々な価値観は持っていることで、相手のことをわかった気になるのではなくわかるための手助けになるものであると漠然と考えるからである。
確かに相手の思考がわかることは確かにとても簡単で便利だと思う。
だけど、それはあまりにもつまらないというのが私の感想。
人の思考はきっと何かの経験や過去の体験などに基づいている。
そこから一緒に理解することが人の思考を理解すると言うことではないだろうか。
表面だけ理解しても、それこそ表面しか見えてないわかった気になっているだけではないだろうか。
様々な価値観が参考書であるなら、相手の思考がわかるのは問題集の解答みたいなものである。
例えとして、不適切かもしれないが解答見て合っていることをドヤってても何も面白くないよね。
そういった意味では、自分でその人のことを理解していく中でその人の主観で語られる「解答」があるならとても面白いとは思うし、その時のために使える解答なら持っておきたいなあ。
決めつけられるほど人ってつまらなくないよ
単純に、最初に述べた例は言っていることがめちゃくちゃであったから食い付かずにはいられなかった。
だけど書いていく中で1つ思ったことがある。
表面が見えてわかった気になっていることってつまんないなって。
きっとその過程が面白いのに、自分の凝り固まった価値観で相手のことを決めつけるなんて面白くないのにって。
人って客観的に見て非合理的な一面を持っているから面白いのにって。
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