見出し画像

同僚の休職が私の勉強代と言われた日

新卒2年目。10人の同僚をまとめ始めて3ヶ月目。

同僚の1人が精神的に追い込まれ、現場から離脱した。

勉強代というにはあまりにも高く、
自身の無力さを痛感した。

その出来事は自分を憔悴させることにおいて十分だった。

反省と誓いも込めてここに書き留めておく。


立場的に2つ上の上司は私との面談で、
「これは〇〇(私)さんのせいではない」と言った。

一方でお客様を前にしたミーティングでは、
「これは私たちのマネジメントにも責がある」と言った。

おそらく後者が本当だろう。
私自身前者を間に受けるつもりもない。


だとしても、精神的に追い込まれ、
仕事から離脱する人の姿を見届けることは、
あまりにもしんどいものであった。

いきなりの相談通知と通話越しに伝わってくる泣き声。

その頑張りたい気持ちはあるけど、
頑張ることができない苦しさがあることを伝えてくる同僚の声は、
過去の自分そのもので何が起こっているかは想像に容易かった。


「こんなはずではない」と思いながら、日々を過ごし、
気づいた時には心身疲弊している。

自分はその経験をし、その辛さを知り、
その辛さを他の人にして欲しくないと思ってきた。

それでもそれは、リモート環境における多少の気遣いと
自分の願いだけでは防ぐことができなかった。

自分の落ち度であることは、自分視点では明白であると感じた。


自分が社会人としてその人より歴が長かったら。

自分が上司達のように同僚を管掌できていたら。


思うところはいくつも出てきた。

そして実際に本人から責められたわけでもないが、
本人から責められたことも夢でみた。

まあ、そうだろうな。自分を責め立てる資格はあるだろう。


その人は、数日後正式に長期的に休みに入ってもらうことになった。

立場が2つ上の上司からは、

「こんなのはレベル5のうちだと2くらいだ」
「これから仕事をする中でもっと大変なことと立ち会う」

そう言われた。


人の心が壊れることを目の当たりにすること以上に
辛くてしんどくて悲しいことがあるのかと思った。

そして同時にこのようなことを当たり前のように受け止めている
自分の上司たちが少し怖くなった。


自分は自分が経験して辛かったことに対して、
慣れることが来るのだろうか。

人を管掌する立場と責任を負う中で、
これから幾度となく辛いことや悲しいことに立ち会うのだろうか。

自分はそれらに耐えて、当たり前だと思う日が来るのだろうか。


この立場は自分の夢見る管理職の姿なのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?