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将来のことを1番考えた10日間と私の変化

少し前に配属が決まったこともあり
順調に進めば来年の春からは新天地で過ごすことが決まった

新天地に身を置くということ
気づけば年齢が20も半ばに差し掛かっていること

これら2つを1つのきっかけに少し将来を考えてみようと思った


将来を考えてみて

私が今回考えた将来のことは次の3つ

・いつ
・どこで
・何をしたい

結局考えてみて想像できたことは大きく1つ

15年20年後には実家がある土地に戻って生活していたい

その理由は大きく分けて2つ
①多くのことをくれた親が何かあった時にすぐ駆けつけられる距離にいたいということ
②少なくとも大都市は生活する上で自分にとってはストレスフルだろうということ

2つをまとめると
「自分が心身共に健康でありつつ 自分以外の力になりたい人たちの近くで力になることができる環境で生きる」ということではないか

親には本当に感謝してもしきれない

自分の親を考えると「自分のために」と戻る私を歓迎はしないだろう
それでも私は返しきれないものをちゃんと返したいと今は思っている

同時に自分はあの土地で生きていくことが向いていると今は思う
地方都市でもない場所だが自分が憧れた生き方があると思っている

(↓参考:私が憧れた生き方「大卒が幸せなんですか?」↓)

この将来の生き方と自分の理想の姿を掛け合わせてみる

自分の理想の姿は
「力になりたいと思える人の力になることができる人になること」

人間的にも経済的にも他の面でも

そのためには自分の力を身につけないといけない
そう今は漠然と思っている

そしてより細かく将来を考えられるようにならないとと思う


自分の変化

これは自分にしかわからないことだが
私は今回初めて数年単位後の将来を考えることができた

どういうことかというとこれまでの私は
明日のこと来週のこと来月のことを考えて生きるので精一杯

将来のことを考えてと言われても考えられなかった
特に上記3つの軸などを用いた場合はそれが顕著だった

就職活動でも「5年後10年後どうなっていたいですか」
という質問が大の苦手だった

何も思い浮かばないからだ


そんな私が1年後どころか
15年20年後のことを考えられた

正直自分に対して驚いたと同時に感動した

冷静に今少し考えてみるとこの変化には
自分の確かな積み重ねがあったのではないかと認めたい気持ちになった


今の考えに至るまでを少し整頓する

少し暗い話に聞こえるかもしれないが
10代で社会のレールから落ちかけた時は
働いている姿なんて想像も出来ず
学生のうちに命絶えると思っていた

人の数年後の話とかを聞いてもその世界で生きている自分が想像できていなかった

社会のレールから落ちかけた自分にとって
一人で生きている姿が想像できなかったのではないか

それが気づけば大学生の後半に差し掛かってから
今日のこと明日のこと来週のことで足掻き
それがたまに数ヶ月後を見据えて足掻いた
気まぐれではるか先を見据えて足掻くこともあった

あれだけこの世から消えたい願望があったのに
気づけば死ぬなら親が死んでからかなとか思うようになってもいた

少しずつ足掻く対象を延びていき
自分が生きている未来を見据えられるようになったと感じる

振り返ってみるとこれが私にとっての成長と変化

(↓参考:社会のレールから落ちかけた話↓)


この時はこんなに自分は変わっていたよ

今回は自分が考えたことを簡単にまとめた

そして考えたことを通して気づいた自分の変化についてもまとめた

これはあくまで今の自分が考えていること
働き始めたら考えも変わるだろうし
人との出会いなどの外的要因で変化もするだろう

自分の現在地を示すものとして書き留め
これからの自分にも成長や変化を期待する

そんな私からのメッセージとしようか


【余談】
最近ふとした時自分はもう20代半ばだしなあ
と思うことが増えた

漠然とだが20代前半と半ばで意識が結構変わっていると感じる
意識というかなんかの危機感?

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