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やっぱり仕事でも私情を挟むのが怖くて

依存関係なんて恋愛上だけであるものだと思っていた。
友人関係でも依存関係とまでいくものはないと思っている。

自分は今、仕事で今の人間関係に一方的に依存しているかもと思った。
そして、ここを抜けないといけない。

焦りと少しの恐怖を覚えた。今回はそんな話。


自分は結構な利他主義だ。仕事上でもそれは同じ。

自分が多少なり苦しくてもそれが他の人のためになるのであれば
進んで自分を犠牲にしてでも取り組む。


そして自分は対人関係でよく悩む。仕事上でも同じ。

大体は他者起点。
〇〇はどう思っているだろうか。など。


でも、自分は人を信じることはない。
任せた仕事の完遂は信じるけど、その本人を信じているとは言えない。

今の仕事がより「お客様のため」という仕事であり、
利他主義な私には向いているが他の部下がどう思っているか知らない。

一応上司である私にいい顔しとこうくらいではないだろうか。
利用できるものは利用しようと思われていると思っている。


しているや悩んでいることは他者依存のことなのに、
その人を信じることができていないのは、自分のことながら実に滑稽。

可哀想な苦しみかたをしているなと思う。


そんな自分に対してそう思っていた私だったはずだが、
最近違和感を覚えた出来事があった。気づきというものかも。

部下から「〇〇したい」という話をされた時、
自分起点で物事を考えてしまった。


これまでだったら、背景を聞いて業務的に問題なければ、
本人の意思を尊重することを第一に認めていた。

だけど、その時は真っ先に自分起点に物事を考えてしまった。

それは自分が嫌だなと思ってしまった。
業務的な影響ではなく、自分の感情的に。


そのことは結構自分の中で、一仕事の関係であると思っていた人に対して、
その存在感が大きくなっていることを実感させた。

仕事における成果という観点において、
客観的視点を差し置いて自分起点の感情を優先することは危うい。

そして、他者に依存することを感情的に期待することも危うい。
勝手に他者依存のことを期待し、
その通りにならなかった時の勝手な失望感ときたら、自爆以外の何者でもない。


この文章も隠したいところは隠しつつ、超主観的に書いている。
都合のいいように書いているこの有様から、
その出来事から目を背けたいのかと自分に対してより思う。

そんなこんなで私は今の会社での人間関係に依存しつつある。
客観性を失い、感情的な依代を置こうとしている。

感情に部分的にでも優先事項を置けば、
会社的にも、余計な懸念事項を増やさないという自分の平和な日常的にも、
悪い結果に繋がりかねない。


「あ、この感覚はまずい」

当初はそう思ったことを文章化したらこんな感じだろう。
早く、私はここを抜けないといけない。


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